やねうらストーリー

東京で働く人の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

テイラー・スウィフトに学ぶ、開き直る強さ

 

私がアメリカに来てびっくりしたのは、日本の女子高生の間では彼女を好きじゃないと女子失格みたいに扱われるテイラースウィフトが、本場アメリカではださい・頭悪い・ぶりっこシンガー、彼女の音楽を聞いているなんて公言するのは恥ずかしい、というスタンスで語られていることだった。

 

実際これはティーンに人気がある歌手だいたいにおいて言えることで、アメリカでのブームにならって日本に輸入され、洋楽好き中高生の間で人気を博す若い歌手のだいたいが、アメリカではださい人扱いされている。ジャスティン・ビーバーとか、カーリー・レイ・ジャプセンとか、流行っていた当時のハイスクール・ミュージカルのキャストとか、最近ではアリアナ・グランデとか。圧倒的に十代前半 (pre-teen) のファンが多いことも、余計に彼らが子ども向け歌手として見下される原因になるんだと思う。

 

JKの嗜みとしてテイラーのアルバムをツタヤで借り、iPodに入れて持ち歩き、歌詞を暗記して毎晩お風呂で一人コンサートを開いていた私は、愕然として一時期テイラーの音楽を全てiPodから消した。好きすぎて武道館での生コンサートにも行ったのに。でもそれくらい、彼女のスタイルとか音楽を「ださすぎてイタい」とするアメリカの風潮が強かったってことだ。

 

 

テイラーが他の歌手と違ったのは、そこで「いいえ私はかっこいいですよ」って顔をするんじゃなくて、「ダサいよ!ダサいけど何か?」というスタンスをとったことだと思う。カントリーからポップに路線変更して出した「Shake It Off」では、「自分のことを嫌う人なんて放っておいて、先にすすもう」と歌いながらぎこちないダンスを披露して、「別に上手くできなくても、かっこわるくても、楽しければいいじゃん!」というメッセージを出した。グラミー賞とかでのアワードショーでも、他の歌手のパフォーマンスの時に最前列で一人でのりのりでダンスして、「ダサいのは分かってる、だって私ダンス下手だもの。でも自分の好きな歌手のコンサートを最前列で見てるんだから、楽しまないと損じゃない?」とにこにこ言い放って、皆の「イタい…」という反応をよそに踊り続けた。その結果、アワードショーでの彼女のぎこちないダンスは今では目玉の一つになってたりする。

 

 

で、私が何を言いたいのかって、テイラーはこの開き直る路線を突っ走って見事に成功したんだ、ということ。ここ数年での彼女の変化ぶりはすごい。ちょっと前と比べても別人みたい。つい昨日Youtubeで発表された新曲のビデオを見て、私はびっくりした。いや私がびっくりしようがしまいがどうでもいいのはよく分かってるんだけど、でもこのビデオに収められた1989ワールドツアーの彼女は、かっこよかった。ダンスやっぱり下手だし、ちょっと猫背だし、歌も口パクじゃなかったら「え…」ってなるくらい下手なのも知ってるんだけど、でも世界中のステージで自信満々に踊る彼女の姿は美しくて、単純にすごいなーと思った。「ださいけど何か?」って開き直り続ける内に、そして「それでも私は私よ!」って胸を張って舞台に立ち続けるうちに、テイラーは本当にかっこよくなっていた。

 

彼女は美貌で成り上がったわけでも歌唱力が認められたわけでもなくて、ただのカントリーシンガーだったのが、自信満々で突っ走るうちに本当にスーパースターになってしまった。もちろん尋常じゃない量の努力がその成功の裏にはあるんだと思うけれど、とにかく表向きには、「私は私でいるだけ」というスタンスを胸を張って貫き続け、その結果見ている人にも「あ、この人はなんかけっこうすごいのかもしれない」と思わせてしまった。その無根拠な自信というか、開き直るガッツ、みたいなところに彼女の強みがあるんじゃないかなと思う。こういう底なしの自信みたいなの、なんと言うかとてもアメリカ的だなと思う。ヘンリー・ジェイムズの「デイジー・ミラー」という1878年の小説に「アメリカ人女性の魅力は、皆自分が魅力的であると思っているところから来ている」という一節があって、言い得て妙だなと思ったんだけど、テイラーの魅力はそれどんぴしゃりだと思う。でもいくらそれがアメリカ人女性によく見られる性質だとしても、実際ここまで開き直って、ここまで自信をもって突っ走れる人はなかなかいないし、そこを全米が見つめる中でやりぬくテイラーはかっこいいなーと単純に思う。洋楽好きという方もそうでない方も、新曲のビデオ是非見てみてください。

 


Taylor Swift - New Romantics