やねうらストーリー

東京で働く人の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

変わらないといけない

 ついに四年生の春学期。そろそろ卒業が近づいてきました。

 

前の記事で、「就職したくない」と書きましたが、少し進展がありまして、起業することにしました。

annica.hatenablog.com

 

起業といっても、いきなり会社を設立するのではなく、シリコンバレーでいういわゆるスタートアップを始めるので、プロセスとしてはとにかくプロジェクトをやってみて、ユーザーを増やして、軌道に乗りそうだったら会社設立、うまくいかなかったら方針転換してまた違うプロジェクトで試す、という試行錯誤のスタイルです。リーンスタートアップ、ともいわれるモデルです。プログラミングができる親友にさそわれて、彼が実際のコードを書き、私が宣伝やビジネスの管理、二人で話し合いしながら方針を決めつつ進める、という形でやっています。一ヶ月前に1つ目のプロジェクトを始め、それが失敗したので、今はその反省をふまえて2つ目の企画中です。一年後くらいには何かを形にしたい。

 

でも今回の記事ではプロジェクト自体の話ではなく、起業するにあたって、分かったこと、考えた事があったので、書き記しておこうと思います。

 

まず、大前提として、私は、大学四年生までぐずぐずと何にも将来について考えないできたということが今回よーく分かりました。もちろん夏にはインターンシップをやってみたり、出版業界で働きたいと思ってみたり、ちょっとはしたのですが、それも所々で必要に迫られて考えるのみで、本当に自分が何かをするんだという実感があったわけではなかった。その結果今回のプロジェクトも割とぐずぐずとして、やるといったのに、上手くいかないとやっぱり仕事を探した方がいいんじゃないかとか思ってしまって、決心が弱くて。

 

それでどうしてそうなのか考えてみたところ、おそらく、理由は二つあるんじゃないかと思いました。

  1. 何をやっていても、「で、だから何?」と思ってしまう。人生の目的意識が見いだせない。
  2. 何をやっていても、「やりたいからやっている」ではなくて、「やりたいと思わないといけないからやっている」感じがする

 

二つは密接に関係していると思うんですけど、一つずつ分けて考えたいと思います。まず一つ目からですが、これは「達成したい目的がない」みたいな話じゃなくて、「人生そのものに意味があるのか」という問いで、ここ半年くらいずっと悩んできた事です。人生の意味がわからない。何もかもの意味が分からない。なんと言うかぐるぐるとした問いで、何のためにやっているのか分からないけど、とにかく目の前に学校の課題やら就職の準備やらやらなくちゃいけないことがあるからやる、そうするとこれが生きる意味、みたいな気はする、でもそんなわけないだろうという気もする、結局何のためにやっているのかは分からないまま時がたつ。

 

「人間の人生に意味はあるのか」「私の人生に大きな使命みたいなものはあるのか」これは昔から人類が考えてきたことだと思います。私も、ちっぽけな女子大生だけど、そういうことを考えて、で、考えても考えても、答えが出なくて、もしかして人生に意味なんてないんじゃないかな、って考えるようになりました。もう何百万年も人類存在してるんだし、こんなに根本的な問いで、古今東西の先人が考えても「これだ!」という答えが存在しないからには、もうこれは人生に意味なんてない、もしくは意味はあっても人間の脳では答えにたどり着くことができないんじゃないか、と。宗教はそういう根本的な問いに対して、「それはね、こういうことですよ、そう神が言ってますよ」みたいな答えを与えてくれるもので、だからこそこんなに世界中にいろんな宗教が存在し、それを信じる人がいるんじゃないか、と考えています。

 

でも私は特定の宗教を現時点では信じていません。大事な問いだから、間違っていてもとにかく自分で答えを出したい、と思ったからです。でも悩んだあげく、このままじゃどうしても先に進まないので、結局は全て無意味なんだと仮定することにしました。こう割り切ってしまうと、死ぬのは痛いからとりあえず生きておいて、生きている間は出来るだけ楽しめればいいな、という方針が立ちました。ここまでくるのにすごく時間がかかった。

 

じゃあ、出来るだけ楽しむとして、何を具体的にするのか。なにしたらいいのか。ここで、上にあげた二つ目のポイントが出てくるんですけど、これまでを振り返ってみて、すごくやりたいからやった、必死にとりくんだ、みたいなことが一つも思い出せなかったんです。今やっていることを考えてみても、なんだか、「すごくやりたいからやった」というよりは、「やりたいと思わないといけないからやった」「なんかやってみた方がいいかなーというノリでやった」みたいなことばっかりでした。正直、文学専攻も、すごく興味があって決めたわけじゃなくて、他にこれ以上興味があることもないし、小さい頃から本読むの好きだったし、くらいの気持ちで、大学生になった今は大して本も読まないくせに専攻を決めました。だから未だに、専攻を決めて2年もたつのに、「文学について学ぶ意味はなんだろう」とかずっと考えていて。自分が何を得たくて文学を学んでいるのかいまいちよくわからないんです。いや、確かに人生の何もかもが無意味と仮定はしたんですけど、でも自分がとりあえず生きていく上での目標みたいなものや、自分なりの世界の成り立ちの理解は構築したくて、そのなかで自分のやっていることに意味はあってほしくて。でも根本的にやりたいことがないから、それもないままだらだらと授業をとって、課題をこなしながら大学四年生になってしまった。

 

唯一、アメリカに学部留学したいという決断は、ものすごく行きたいと思って決めました。でも今振り返ってみると、アメリカで何かをしたいというよりは、このまま日本にいてはいけない、という猛烈な危機感からした決断で、行けば何か変わるだろう、と期待して来てみた結果、私は何もまだ変わっていない。趣味もないしはっきりした興味もない。

 

小さい頃から、私は優等生でした。試しに受けてみた日能研の実力テストで成績がよかったからとんとんと中学受験して、進学校に入って、成績も割といい方を維持して、国立大に合格して半年だけ通って、そこから留学。もっと小さい時は本を読むのが大好きだったんですけど、受験が忙しくなるなかでその習慣も消えていきました。そのおかげで与えられた課題をこなすのがすごく得意になった。期末テストも課外活動も、与えられた課題をそつなくこなし、他人にすごーいと言われるまでが全てだったから、正解のある課題にしか取り組めなくなって、次第に自分の振る舞い方や考え方までも課題として捉えていたんだな、って今週くらいにやっと、やっと気づきました。むしろ、自分のやりたいようにすることや、素直に何かを好きだとか嫌だと感じることに罪悪感さえ抱くようになっていました。

 

そしてここになって、将来を課題として捉え始めたところで、先に進まなくなりました。この課題はさすがに自分の意思をもって決めたいと思ったからです。就職先を他人の目線ありきで決めたらアンハッピーだろうなくらいのことは分かったので、コンサルとか銀行には行きたくない、でもかといってこれまで自分の意思で何かをやった経験が少な過ぎるのでやりたいことがない、出版にいきたいのかどうかも分からない、とにかくリクルートスーツは着たくない、のわがままばかりで、一歩も前に進めない状態がしばらく続いていました。自分のスキル一本で食べていける仕事に魅力を感じているのは分かっていたんですけど、具体的になんなのかも分かっていませんでした。

 

だからがっちりと就職をせずにとにかく何か仕事を見つけて、何年か自分のやりたいことを考えよう、みたいに思ってたんですけど、ビザ的にそれは難しいことが分かって、それでも日本には帰りたくない。もうむちゃくちゃでした。考え方が甘くて。

 

そこでもって友人にスタートアップをやろう、と言われたから、よしやろうかな、くらいの気持ちでうんと言ったんです。覚悟が甘かった。一ヶ月目が終わって、友人には「僕は共同経営者が欲しかったんであって、社員を雇ったわけじゃない。社員になるつもりなら抜けてくれ」と言われて、がーんってなりました。スタートアップも、まあ自分でやりたいと思ったわけじゃないし、面白いプロジェクトだとは思うけど、とにかく必要そうなことをやって、自分のやりたいことが分かるまで時間をすごそう、みたいな心持ちだったことに気づかされました。だから仕事への取り組み方もなあなあだった。友人にもプロジェクトにもすごく失礼な態度でした。

 

一番の問題点は、私にとってやりたいことがなかったことです。人に課題を与えられることに慣れすぎて、自らの意思に従って課題を設定し、計画をたて実行する力が全くないままここまできてしまった。だから何もかも「まあやっとくか」みたいな態度になってしまう。

 

そのことが分かった今、必死に、やりたいことを考えています。これまでやってみて、面白いな、と思った事はなんだろう?どうして?って。今更だけど。すっごく情けない。でもやっぱりちょっとくらいはやってみたいこととか、嫌だから避けたいと思う事があるのが救いです。無意味なりに楽しいなー、と納得のいく人生を送りたかったら、今頑張らなくちゃいけない。と思って、考えています。