やねうらストーリー

東京で働く人の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

働きはじめました    

 

お久しぶりです。前回の投稿から7ヶ月もたってしまいました。

 

この七ヶ月で色々なことがありました。友人と始めたプロジェクトは頓挫し、異国での大学卒業一ヶ月前になって住む場所も仕事も全くアテのない状態になり、とにかく日本に帰りたくない一心で両親に当座の生活資金を借金し、サンフランシスコのベイエリアに引っ越してきました。そして就職活動を数ヶ月、現地就職のみに絞ってした結果、先月末に無事内定をいただくことができて、二週間前から働きはじめました。というわけで今は学生ビザを延長して、カリフォルニアに住んでいます。

 

就職したくないと前に書いたのは本音だったけれど、生きていくにはお金が必要だということがよーく分かりました….幸いなことに日本語も英語も活かせて、書くことがメインの楽しいお仕事をご縁があっていただくことができたので、ラッキーでした。本当に運の良さだけはピカイチだと思っています。

 

考えていたことは山のようにあるんですけど、7ヶ月分もたまると難しいですね。

 

前回の記事でやりたいことを探していると書きましたが、まずは書くことから始めてみよう、ネット上で書くのと読むのは大好きだから、と思い、ワードプレスで意識高めのブログも作ってみたりしたんですが、ブロガー界隈のあまりのきらきら度合いについていけなくなってしまいました。正直はてながちょっと恋しかったです。うーん、でもワードプレスの扱い方とかpvとかを勉強するのは楽しかったし、最初からペースをかっ飛ばしてきらきらさせようとしすぎたことが原因かもしれないので、トーンダウンして続けてみたいなーとは思っています。

 

なんか、どうしようもないことを書いているみたいでごめんなさい。あまりに長いこと書いてなかったので何を書いたらいいのかわからなくて。

 

新しくワードプレスでブログを開設して思いましたが、つくづくブログって、面白いです。

 

特に読者が少ないこのブログでは、祈るような気持ちで、無人島から空き瓶に詰めた手紙を海に送り出すような気持ちで書いています。誰が読んでくれるかもわからないし、いつまでも読まれないかもしれないのに。それでも、誰かが読んでくれることを前提として、誰かに語りかけながら書いていく。

 

ワードプレスでのブログに私がちょっとビビってしまったのは、きらきらすることに疲れただけではなくて、積極的にツイッターと連携させたりアナリティクスツールを導入したりした結果、実際に誰かに読まれたということかもしれません。

 

祈るように書いているうちは、自分の書いたものは100%自分のものだけど、読んでくれた人がいる、とわかると、その瞬間から私が書いたものは他人のものになるような気がして、そうするとなんだか新しい記事を書くのにもとてつもないプレッシャーを感じてしまいます。誰かが読んでくれるということが、最初は面白くて仕方がなかったけれど、すこしずつ記事が溜まっていく中で、それが少し怖くなってしまいました。書いて、公開すると、誰かが読んでくれる!読まれないにしても、みられている!

 

書くものは、できれば自分の本音でありたい。嘘偽りのない本音を、正直に書きたい。

 

でも、誰かに読まれることを意識した途端に、「当たり障りのないように書かなきゃ」「矛盾がないように書かなきゃ」「誰も不快にさせたくない」「嫌われたくない」なんて色々と考えてしまって。

 

この二つを両立させるにはそもそも自分の性格を見直すところから始めた方がいいんじゃないかな、とか考えてしまい、前に進めなくなっています。

 

本当はここで、でも私は本音を書き続けるんだぞーといえたらかっこいいような気もしますが、気弱なのとストレスを抱え込みたくないので、どうしたらストレスなく楽しく書き続けられるかを考えたいと思っています。

 

仕事を始めたり新しいアパートを選んだりしてわかりましたが、ストレスが軽いということが私にとっては最優先です。ほぼ最優先。

 

現在の仕事も、すごく楽しいし、英語の職場って無駄に気を使うことがほとんどなく、ストレートに考えたことを言うことが求められるので、ストレスがかなり低いです。もちろんニュアンスも相手への気遣いも大事ですが、ロジカルに伝えることが大事なので、要点をリストアップして、後はそのプレゼンの仕方を考えるだけ。でも逆に日本語の業務メールは細かいニュアンスや気遣いが、送られてきたメールの節々から感じられるので、要点よりもニュアンスや敬語の程度を考えてしまい、一本のメールの返信にいちいち時間がかかってしまいます。母国語だからかもしれませんし、日本の文化かもしれないし、どちらかはわかりませんが。多分両方だと思います。

 

住む環境も、私は都市部よりも郊外の方が好きだということがわかりました。都市部は刺激が多すぎて、空気も悪いし、身の安全に絶えず気をつけていないといけないので疲れます。小中高と東京で過ごして、てっきり自分は都会っ子だと思っていましたが、一軒家が立ち並び子供がボールを転がして遊んでいる郊外の方が落ち着いて息をすることができるような気がします。夕方に近所の散歩をするのが楽しいです。

 

またこれまでは親におんぶに抱っこだったので、両親の許可や相談が必要なことがどうしても多く、そこがちょっとストレスになっていたこともありました。英語を習わせ、海外進学を応援し、多額の学費を払ってくれた両親は素晴らしいです。本当に。私がカリフォルニアに住めていることも両親の支えなしではあり得ませんでした。それでも、年をとるにつれどうしても会話が辛かったり、私の意見や思いを無視されているように感じたりすることがありました。言葉ではなく、学費を払ってくれたというその行動こそが大事だということは重々承知です。この子は恩知らずでわがままだ、と言われても仕方ないと思います。無責任で世間知らずな選択を色々としてきたことも事実です。本当はこんなこと書いたらいけないのかもしれません。私が今持っているもの、学歴や能力や人柄などは全て両親が時間とお金をかけて準備してくれたのも事実です。でも私もやっと社会人になって、自分の家賃も食費も携帯代もクレジットカード代も全部自分で払うことができるようになったので、せめて後は借りたお金をできるだけ早く返せるように頑張りたいと思います。確定申告も、保険も、投資もクレジットカードの申請も、全部自分でできるようになりました。後は自炊と丁寧な掃除、でしょうか…

 

すみません。親の話って本人にとっては大事でも他人にとっては割とどうでもいいことが多いですよね。私もそう思います。もう大学卒業したので、このトピックにはいい加減けりをつけたいなと思っています。

 

なんかストレスフルな話題になってしまったので、話を元に戻すと、色々あったけれど私はなんとか無事でやっています、と言う感じでしょうか。新しいアパートは狭いけれど日当たりが良く、カリフォルニアのさんさんとした太陽の下で洗濯物を干すのがたのしいです。お仕事も小さいチームで、ロジカルな人々と働けているので楽しいです。毎日学ぶことがあります。オンラインで自分の書いたことを祈るように載せる場所もある。毎朝コーヒーが飲めて、夜は低反発まくらで頭を休めて寝ることができる。人生は、現時点ではとてもいい感じです。