やねうらストーリー

東京で働く人の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

「プロミシング・ヤング・ウーマン」を観た

映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』キャリー・マリガン

 

ポスターの見た目から、可愛い女の子のパワフルな復讐劇で、割とお決まりなパターンのハリウッド映画かと思っていた。完全に裏切られた。

 

この映画は非常にネタバレセンシティブなので、なかなか内容を書けないのだけど、主人公の背景も、周りの人々も、起こる出来事も、あまりにリアルで、だからこそ重く、暗くて、衝撃の強い作品だった。

 

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予告編で分かる部分だけで説明すると、主人公のキャシーは、将来を渇望される前途有望な医学生だったものの、とある性暴力事件に関連して中退し、現在はカフェでバイトをしている。バイトの傍、毎週末バーに出向き、立てなくなるまで酔ったふりをして、その弱った状態につけこもうとする男が声をかけてくるのを待つ。男は大抵優しくするふりをして、泥酔状態の(ようかに見える)キャシーに僕の家で休憩しようよ、と言う。キャシーは男の家までついて行き、レイプされそうになったいよいよその時、しゃきっと目を覚まし、「今、お前は何をしようとしていたのか」と問い詰める。。。

 

と言うような感じなのだけど、まず、全体的にトーンがすごく居心地が悪くなるように作られている。キリキリしたバイオリンの音とかが緊迫した場面で流れるのももちろんそうなんだけど、明らかに画面では異常なことが起こっているのにアップテンポのポップソングが流れていたり、キャシーが何を考えているのかいまいち掴めなかったり、こう、「ああ今こういうことが起こっているんだな」と一瞬たりとも安心できない感じがある。あとはテーマがテーマだけに、常に坂を転げ落ちるように物事が悪くなりそうでならない、ギリギリのバランスで物事が進んでいくので、全然先が読めない。

 

このギリギリのバランスというのは、観ている人を釘付けにするためだけではなくて、狂気と平気を平行線で描きたいという意図が製作者の側にあったからこそなんじゃないかと私は思う。この映画はキャシーによる復讐を描いているけれど、往々にして怒った女性というのは「ヒステリア」「狂気」「怪物」などといった「正気を失った」状態として扱われる。映画や文学の世界でもそうだし、実生活でもそうだ。正当な理由で怒っているのに「ヒステリーをおこしている」と言われて、さらに怒りが募ったことのある女性は少なくないはずだ、と思う。その点この映画では、キャシーは一人の人間として描かれている。過去の出来事に怒り狂ってはいるものの、ふと冷静になったり、自分の復讐が行き過ぎていないか迷ったり、またアクセルをかけたり、と、いったりきたりしながら物語は進んでいく。そこがすごくリアルで、かつ先が読めないハラハラ感に繋がっている。

 

もう一つ、この映画で非常に特徴的なのが音楽だ。明らかに意図的に選ばれた、アメリカの女性シンガーによるポップ・ミュージックの数々がただのBGM以上の意味合いを持って映画の随所で流れる。特にBritney SpearsのToxicは日本でも知っている人が多いんじゃないだろうか。若い女性だからという理由で本人の意図と関係なくセックス・シンボルとして祭り上げられ、最終的には精神を病んでしまった彼女の歌はこの映画とマッチしていて、こういう話は映画内の話だけでなく現実の問題であるということを突きつけてくる。

 

現実社会への憤りが増すと同時に、こういう映画が作られる時代に生きていてよかったなとも思った映画だった。決して楽しい映画ではないけど見て後悔はしないと思う。おすすめしたい。