やねうらストーリー

東京で働く人の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

インターンシップ活動 @ アメリカ

やっと、やっと、インターンシップを追い求める旅が終わった…長かった。太平洋の向こうで水素水がはやったり、ベッキーが早速復帰したりする中、私はひたすら期末試験と戦い、インターンに応募し、落とされ、また応募して、を繰り返していました。結論から言うと、3社とパートタイムでインターンすることになりました!そのうち2社はリモートワークなので、時間のマネジメントは出来るだろうと踏んだ上での決断です。というか、1社ずつだいぶ間隔が空いてオファーが来たので、オファーされた順に受けていったらこうなった、というほうが正しいかな。いやー、思っていたよりずっと厳しかったです。全部で27社に応募して、インタビューまで行ったのは7社。残りの20社は返事なしか、空きがありませんという返事が返ってきたかがほとんど。つまり書類落ちです。

 

私が本腰を入れてインターン応募を始めたのは3月上旬。遅いですね。だいたいの生徒は1月あたりから始めるんだけど、私は第一希望の会社が3月下旬にならないと応募受付を始めないのと、ざっとみて出版業界は4月締め切りのところが多いな、と思ったのもあって、のんびりしてました。そこから応募する会社のリストを作って、春休み中に履歴書とカバーレターを仕上げて、一週間で10社くらいに応募しました。大手のところばっかり。

 

まあこんだけ応募すりゃちょっとは返事も来るだろうと思って待つこと一週間。

 

二週間。

 

三週間。

 

四週間。さすがにこれはまずいと気がついた私は、4月上旬になって必死でリストに会社を増やして、鬼の形相でほぼ手当たり次第に応募しまくり始めます。でもやっぱり返事は来ず。この時点で一ヶ月くらいどこからも連絡が来てない…! 返事が来ても、もうポジションは埋まりました、とか、秋にまた応募してね、とか。もう寝ても覚めても気になるのはインターンのことばっかり。こんなんじゃ就職なんてもってのほか…お先真っ暗だ、卒業後は日本に強制送還か、と思った矢先、日本文化を主に扱う英文雑誌から連絡が来ました。スカイプ越しのインタビューで気に入ってもらえて口答でオファーが来たときは嬉しかった!

 

そこからも応募を続けることさらに一ヶ月、応募数を増やしたからかやっと少しずつインタビューへのお誘いがくるようになりました。ぜひ行きたいと思っていた第一志望の会社からも。でも緊張しすぎたせいか見事にインタビュー後に不合格の連絡が来て、あっけなく夢ついえる。しょんぼりしていたところ、オンラインでたまたま見つけて応募した教育系の出版会社から連絡が来て、インタビューして、とんとん拍子でオファーを頂きました。あともう1社は、ブックエージェントのアシスタントとして、ひたすら原稿を読んで、没か採用か検討かのレポートを書くもの。これはサンプルレポートを送って選抜してもらいました。

 

結果としてはやること盛りだくさんの夏になったのでよかったけれど、ここ何ヶ月かのインターン活動はけっこう辛かったです。自分で言うのも恥ずかしいけれど私はいわゆる挫折をしたことがない若者で、大学受験もその他もろもろも、苦労の末なんとかいい結果に終わることがほとんどでした。でも今回、大手から声がかかったのは1社のみ、それも不合格に終わって、その他多くの会社からは返事ももらえませんでした。

 

まあでも終わって考えてみると、基本的には経験不足がたたったところが大きかったんじゃないかと思います。出版社の編集で働くには、一番下っ端でも数年の経験が必要とされるので、まずは無給のインターンから始める人がほとんど。そのため無給のインターンでも、出版業界では大学院生や社会人の応募者がわんさか集まるので、大学三年生でほとんど経験がない私にはこの結果が妥当だったのかもしれないな、とも思います。現実を突きつけられたのはよかった。逆にオファーを頂いた会社には感謝、ご縁だと思って精一杯頑張ろうと思っています。

 

まー、あとは実力不足かな!ごちゃごちゃ言っても、当たり前だけど実力が一番大事ですよね。インタビュー失敗したのは痛かった。ちょっと泣きました。カバーレターも、これ以上は出来ないくらい推敲を重ねて応募したけど、もっと上手に書けたのかもしれない。年齢を言い訳にしても、いろいろやってる同級生はいるはずだしな。まだまだなんだなー。インターンシップくらいのレベルで失敗を経験できてよかったと思います。

 

自分がいかにもアジア人な名前&履歴書に載っている高校が日本のだから、言語を専門に取り扱う出版業界だと眉唾な感じでみられるのかな、って思ったりもしたけど、そしてそれが全く関係なかったかどうかは分からないけど、まあそんなこと考えてても名前を変えるわけにはいかないので、実力をつけるのみ、かな。

 

卒業後のことを真剣に考え始めるきっかけになって、就職活動へ向けてのよき練習になりました。せっかく好きなことばっかりが出来る環境を整えたので、夏は楽しく過ごしたいと思います。いってきます!

 

 

 

日本人ではなくアジア人であるところの私  

先日、キャンパス内で携帯を落としてしまった。あーあ、誰か拾ってくれてるといいな、と思ったら、たまたま友達といたところに大学のオフィスから彼の携帯に電話がかかってきて、「失くし物で届いた携帯にあなたからのメッセージが表示されているんだけど、心当たりはありますか?」とのこと。親切!彼がすぐに私のことだと気がついてくれて、電話を代わってくれた。電話の向こうのおばさまいわく、「んーと、待ち受け画面の表示は、中国語?みたいに見えるんだけど」とのことなので、「ああ、それは確実に私の電話です」と言って、後日受け取りに行きました。

 

いまいち関係ないような気もするんだけど、この出来事はアメリカに来るまでは考えたこともなかった人種というトピックを私に連想させた。ここにいてだんだん慣れてきたことなんだけど、私はアメリカでは日本人というよりアジア人だ。日本から来たことが関係ないわけじゃないんだけど、様々な人種が住むアメリカでは肌の色が最初に目に入ることで、だからやっぱり誰かと最初に話す時には、ああこの人はアジア人、黒人、白人みたいに見た目でざっくりと分けられてしまう。「見た目が9割」じゃないけど、人をある程度見た目で判断するのは当然のことなんじゃないかなと思うので、まあそんなもんだろうと思う。よくないのは見た目のみでしか内面を判断しないことで、それが差別にあたるんじゃないかと思う。

 

自分がアジア人、というのは、アメリカに来て最初の一年くらいはいまいちなじみがない感覚だった。第一私はアメリカで育ってないから、あなたはアジア人ですよ、とか言われてもピンとこない。下の画像のジョークも、面白いんだけどじゃあ自分がこういうアジア人のステレオタイプにすべて当てはまるかっていうとそうじゃないし、変な感じだった。

 (Finals Week: 期末試験期間 左から時計回りに: 教授、オタクたち、僕、そしてアジア人たち)

 

でも三年もいれば慣れてきて、数学が得意なアジア人、とか、時間に几帳面なアジア人、みたいなステレオタイプにもなじみが出てくる。「アジア人なのに成績やばいよ笑」みたいなジョークは典型的なやつ。個人を無視したステレオタイプを手に取って、笑いに変えるタイプのジョーク。

 

もちろん私はキャンパス内でほとんどの時間を過ごしているから、私が「アメリカ」という時には、ものすごい度量のバイアスがかかっている。人種なんてセンシティブな話をする時には、筆者のコンテクストをはっきりとさせる事が絶対だと思うので説明すると、アメリカのいわゆる「エリート」と呼ばれるような大学では新入生を選ぶ際に全体のバランスとか、多様性を非常に意識して生徒を選考する。だから私は誰かの手によって意識的に作り出された環境で日々を過ごしている。全米の人口においてアジア人は4%程を占めるのに対して、私の大学では15%がアジア人だ。このキャンパス内においては、14%いるヒスパニック人口よりも数が多く、白人の43%に次いでまさかの二番目に多いマイノリティ人種ということになる。だからだと思うけれど、私はこのキャンパスでアジア人だからといって引け目を感じたことや差別されたと感じたことは一度もない。キャンパスの外に出た時に、必ず「中国人?」と聞かれる時くらいにしか、ああ私はアジア人として他の人から見られているんだな、と意識することはない。だから上に書いた電話の内容がこのトピックを連想させたんだと思う。

 

キャンパスを一歩出ると環境は全く違って、最近ではアカデミー賞授賞式のホストによる人種をネタにしたジョークが大変な物議をかもした。リンク先はニューヨークタイムズの記事。

http://www.nytimes.com/2016/03/01/movies/chris-rocks-asian-joke-at-oscars-provokes-backlash.html

これは上に書いたような、「アジア人は数学が得意で几帳面」というステレオタイプを子どもに背負わせて、舞台上で笑い者にした出来事だった。三人のアジア人の子どもにスーツを着せ、ブリーフケースを持たせて、司会者のクリス・ロックは彼らを「アカデミー賞の投票の結果は彼ら、非常に優秀な会計士たちが計算します」といって紹介し、最後に「もしも誰かがこのジョークで気を悪くしたなら、彼らが作ったiPhoneでそのことをツイートしてね」というオチをつけた。司会者の黒人に対する人種差別をネタにしたジョークは絶賛されたのに対し、いや、他のジョークがよく出来ていたからこそ、彼のこのジョークは多くの人を残念がらせ、怒らせ、特にアジア人だからといってもらう役どころで日々差別を受けているハリウッドの役者たちから多くの反応を呼んだ。

 

アジア人として、私はこのジョークがニュースになった時に正直どう反応していいのか分からなかった。ステレオタイプを、ただのステレオタイプだよね、として扱うのではなく、最後まで押し切ったことには違和感があった、と思う。子どもをステレオタイプの担い手にして、ジョークのオチにした、そこは間違っていたと思う。彼らは一言もセリフがなかった。大人だったら、人種差別的なジョークのネタにされたあげく、口を開くことが許されない状況は明らかに人々の目にとっておかしく写ったと思う。このジョーク、司会者の意図としては、ステレオタイプをぎりぎりまで押すことで、見ている人にとって非常に居心地の悪い状況を作り出し、あなたは人種差別を無意識に受け入れているんじゃありませんか?って指摘したつもりだったんだろうけど、結果的にそういうステレオタイプに完全に乗っかっただけの形になってしまった。

 

とてもセンシティブな話題なので、正直どこまで何を言っていいのか迷っている。逆に言えば、今ここでこの話題を書くのに躊躇するということ、また、どう反応したらいいか分からなかった、ということが、私がどれだけこの問題にうとく、現実の認識が甘く、自分の意見をきちんと持っていないかを示しているとも思う。でも私の考えを正直に書くことこそがブログの意義だと思うのでとにかく書けるだけ書いた。無事にここで就職できたとして、ビザを手に入れられたとして、きっとこの問題はこれからもずっと考え続けることなので。

 

バイリンガル向けのキャリアフォーラムに行ってきた

今月の頭、4月9日に開催されたU.S.キャリアフォーラムなるものに行ってきたのでレポートしたいと思います。最近やたら就職やらビザやらについて書いてますが、私が来年無事に就職なり大学院に行くなりするまではちょこちょこ書き続けると思います。だってそのことで頭いっぱいなんだもの…!

 

今回のキャリアフォーラムは、CFN (CareerForum. Net) という「日英バイリンガルのための就職・転職ジョブサイト」の企画で開催されました。CFNはかのボストンキャリアフォーラムを開催していることで有名で、毎年11月に行われるこのキャリアフォーラムでは大手企業が200社以上参加、たったの三日間で応募、面接、内定が出ることから全米どころか世界中から日本人の学生が集い、4000-5000人のスーツを着た若者が就活合戦を繰り広げます。学部留学生の間では、熱心な人は一年生から参加し、三年生の秋に翌年のインターンをゲット、そこで経験を積んで、四年生の秋には内定をゲットして無事に日本に帰ってゆくのが基本パターンです。前回の記事でも書きましたが、なんだかんだいってアメリカでの就職は無理ゲーなので、大学院に進学するのでなければ卒業後は日本に帰るという人が多いです。私は大学一年生の時に下見のつもりで参加しましたが、履歴書もすかすかだったし面接されるのも怖かったし、何より紋切り型のスーツを着て似たようなメイクに似たようなバッグを持ってせかせかと歩き回る人の群れが気持ち悪くなり、もう二度とこんなところ来るもんか、こんな没個性のことされてたまるもんか、絶対に自分はこうなりたくない、と誓って帰ってきました。というわけで二年生と三年生の秋は断固として行かなかったのですが、自分の立場がよくよく分かった今、今年の秋は本命の就活ではないにせよ(なにせアメリカでの就職が第一希望なので)ボストンには行くと思います。

 

前置きが長くなってしまったけれど、今回私が参加したニューヨークでのキャリアフォーラムはボストンとは少し違い、対象はアメリカ現地でのポストのみです。採用対象は日英バイリンガルの学生か転職希望者、参加企業は約50社。対象がけっこう狭いので、参加企業はアメリカにオフィスがある日系企業が多かったです。私は2017年卒業なので就職にはまだ早いのですが、インターンを募集している企業もいくつかあったので、夏のインターンを探しに&来年の練習がてら行ってきました。

 

開催場所はマンハッタンの隅にある大きなコンベンションセンター。ホールの中はミニ幕張メッセみたいな感じで、そこに企業のブースがずらーっと並んでいます。各ブースにはその企業の採用担当者の方が二、三人座り、企業説明会をしていたり、学生と話したり、その場で面接をしたりしています。10時—7時のイベントで、私は午後1時くらいから行ったのですが、あんまり混んでいませんでした。

 

まず最初に、お目当ての出版社2社のブースをアタック。50社も来るイベントなのに出版業界しか考えていない私は、この2社だけのために往復6時間の道のりを電車とバスに揺られて来たようなものなので、事前準備はばっちりです。ブースに歩み寄り、笑顔で挨拶し、英語と日本語の履歴書を提出。その場で即面接をしていただきました。面接時間は両方とも30分程、もう少し短かったかも。内容はごく普通の面接で、大学で専攻していることや、アメリカに留学した理由や、志望理由などを聞かれました。もともとが書く事に興味があるし、これまでのインターンや仕事もだいたいの経験は出版に関係しているので、説明に苦労はしませんでした。1社からは冬のインターンへのお誘いを頂き、もう1社からはライティングサンプルを送るように言われて、私のイベントの目玉は合計1時間半ほどで終了。

 

帰りのバスは7時頃だったので、残りの時間をどうするか、5ドルもするミニホットドッグをほおばりながらフードコートで考えました。とりあえず来たのは来たのだから、いろいろと応募してみようと思い、ホールに戻ってうろうろすること30分程。旅行社に何社か応募し、あるところでは面接をしていただいて、合否は後で連絡しますと言われました。文学と旅行の関係性について支離滅裂なことを口走ったあげく、将来はお客様の旅行の役に立ちたいと見え透いた嘘を言ったので多分ここは落ちたなーと思いつつ他の企業もまわり、飛び込み応募できそうなところを探します。ちょっと会計に興味があったのですが、この業界は会計学専攻の生徒しか採用対象ではないらしく、少しお話したのですがあっけなく最初の一分でアウト。その後はひたすらうろうろし、少しでもチャンスがありそうなところは履歴書を渡し、出版&ライティングにまみれた私の履歴書を見て相手の表情がみるみる険しくなっていくのを何度か見ました。もうこれで終わりかなーと思っていたところ、ブースに立っていたお姉様と目が合った不動産会社の面接に呼んで頂いて、とにかく夏のインターンがしたいと連呼し続けた結果、後ほど連絡しますと言って頂けました。この時点で6時過ぎ。もうどこの企業もブースを片付け始めていて、イベント自体が終了しかけていたので、ここにて私の長ーい一日も終了!学生と企業の交流会用に設置されたバーからシャンパンを頂いて、ちょっと休憩して、バスでフィラデルフィアに帰ってきました。

 

とまあ、そこそこの成果をだし、就活とはこんなものなのか、という感覚も少しつかめたので、往復50ドルくらい出して行ったかいは充分にあったかなと思います。学んだ事としては、

  • 応募した業種に関係がないことがいっぱい履歴書にのっていると、紙面のみを元に面接に呼んでもらうのは難しい
  • でも全く興味と関係のない業種でも、素直に「私はこういうことが好きです」と言うと、あなたの興味に合わせた業務を自分で作ることができますよ、といってもらえることも多い
  • 私の履歴書ではコンサル・銀行・会計は無理
  • 面接ではいっぱい笑顔をみせること、はきはきと話すこと
  • 志望理由は、小さな誇張はいいけど、でっち上げはアウト(○幼少期から旅行をすることが多く、旅行業界に興味を持ちました ×五年後、私はお客様の旅行をサポートするプロになっていたいです)。というか、私はあんまりうまくこういうの言えなかった。
  • スーツにお花柄のリュックで行ったけど大丈夫だった。コンサルのお兄さんには「Cool backpack!」って言ってもらえた。

 

くらいかな…?あとは IT関係の転職希望をしているインド人のおじさんにめっちゃ気に入られて、いっしょにニューヨーク観光しないか、フィラデルフィアまで送っていってあげるから、と言われたのが印象深かったです。いやいや車で三時間かかるところだよ?私とあなた5分前に知り合ったよ??

 

以上、私のキャリア・フォーラム経験談でした。

 

 

米国籍がない時にアメリカで就職するという無理ゲー

私は日本人の両親を持ち、福岡で産まれました。従って日本国籍を持っており、裏返して言えば、他の国籍は持っていません。これがアメリカで就職するにあたってけっこう厳しい状況を引き起こしていて、しかもぼんやりとしていた私はその事実に最近になって気づいて、先月と今月はうげーってなってます。

 

アメリカに来る前は、将来はアメリカで就職かなーとかのほほんと考えてたけど、実際就職がせまってきて分かったのは、アメリカは学部留学のみをする人にけっこう厳しいということ。段階を追って説明できればと思います。

 

*この記事はアメリカに学部留学をする/している人向けなので、全ての日本人留学生に当てはまる訳ではありません。細かいルールはきちんと自分で調べましょう!私もできるだけ正確な情報を書いてはいますが、自分で調べて書いていることなので、責任は負えません。

 

  1. 学生ビザ

    F1ビザと呼ばれる学生ビザは、政府に登録された高等教育機関においてフルタイムで授業を履修している間発行されます。私の場合は四年間、入学した2013年から卒業する2017年まで。このビザは学生ビザなので原則授業を受けて学ぶことしか出来ませんが、ビザ有効期間はアメリカ国内の旅行は自由ですし、お給料が発生する仕事も大学に雇われてならできます。つまり図書館とか食堂でのバイトは大学が雇用主なので可、でも隣接する町のカフェでのバイトとかはアウト、という事です。家計が苦しくて大学から「奨学金が出る」という場合、生徒がこうして働いて稼いだお金で学費に貢献することが前提でプランが組まれていることもあります。

  2. OPT

    F1ビザにはOPTという素晴らしい制度がついてきます。OPTはOptical Practical Trainingの略で、大学を卒業し四年間のビザが失効した後も、仕事があるならアメリカにいていいという制度です。学生ビザの延長の就労資格のようなものです。学生が自分で申請して、許可がおりたら「私は就労資格があります」といって就活をすることができます。ただし専攻に関係のある仕事しか認められないのと、12ヶ月のリミットがあります。またSTEMと言って、自然科学やエンジニアリング専攻の学生は追加で17ヶ月OPTを延長することが出来ます。私は比較文学専攻なのでかすりもしません。かなしー

  3. 就労ビザ

    さてOPTを完了した後、大抵の留学生が狙うH1Bビザと呼ばれるこのビザは、最低でも四年制の高等教育機関を卒業した外国人に、雇用主を通じて発行されます。これはどういうことかと言うと、ビザを発行する手続きは雇用主が、その費用も雇用主が負担するということです。この費用と手間がけっこうばかにならないので、ここを請け負ってでも留学生を採用しようとしてくれる企業を見つけるのが最初のタスクです。大企業なら経験があるのでいいよっと簡単に言ってくれるかもしれませんが、中小企業にビザ申請の手続きを全て一から説明して、費用負担をお願いするのは骨が折れます。アメリカ国籍がないと就職が厳しいというのは大抵ここを指します。留学生を雇うのは雇用主にとって負担になるので、ドアが狭いのです。もちろん業種によっても違いはあって、銀行・コンサルは留学生が多くビザもあまり問題にならないようです。が、私は全く興味がないのでここでもアウト。いててー

     

    さて、めでたく採用が決まり、ビザ申請もしたところで、一番大きな関門が立ちはだかります。それはH1Bビザの抽選。現行の法律では、H1Bビザの発行には65,000人の上限があります。ここに230,000人を越える人数が毎年応募します。ビザをゲットできるのは、完全なる抽選で選ばれし30%くらいのラッキーな人だけ。いやいやまさかと思いません?思いません?私は思いました。大体の人が、学部留学なら一年間600万円くらいする学費を払ってアメリカで勉強してるのに(私のように奨学金が出ている人も多いですが)抽選?なぜ?ここでもし運悪く抽選に落ちたら、もちろんアメリカに滞在することはできないので、仕事もさようなら、アメリカもさようなら、ゼロから母国で就活再スタートです。銀行でもコンサルでも、抽選に例外はありません。まあもちろんここでも場合によってその後の対応に違いはあって、例えばグーグルは会社を通じて他の国に転勤させ、次の年の抽選にまた挑戦、ということをさせてくれるみたいです。あと大学院を卒業した人には65,000人の上限のうち20,000人分が最初に取り分けられて、抽選も最初に行われるので、確率はぐっとあがります。雇用主が高等教育機関またはNPOの場合も、この抽選が免除されてストレートにビザが出ます。でも私は大学生、HTMLもよく分からないのにグーグルに就職なんてありえないし、PhDもないのに大学で雇われるのは厳しいかな…

     

    ちなみに外国の国籍だと仕事を見つけるのが難しいのはインターンでも同じで、昨今ではインターン経験がないと就職はほぼ不可能とまで言われますが、万が一インターン中に内定が出てもH1Bビザの関門が待ち受ける留学生はインターンを見つけるのも厳しかったりします。

     

というわけで学生ビザの簡単な説明、もしくはのこのことアメリカに留学してきて比較文学を専攻した学生の壮大な愚痴でした。留学生でも母国にかえって活躍したいという人にはこれは当てはまりませんし、大学院に進んでPhDがとりたいという人も、もちろん二重国籍の人も(うらやまぴー)、ここで書いたことは当てはまりません。私だって、日本での就職や、最近の流行にのって銀行やコンサルに就職を希望していればだいぶ状況は違ったので、まあ自分で掘った穴に自分で埋まって首だけ出して叫んでる状況といっても間違いはないです。思い立ってアメリカに留学して、自分が好きなことを専攻して、その上面白そうだと思える業界にしか就職したくない、というわがままを言えている今の私はとても恵まれていると思います。あとは夢をかなえるために頑張るのみ。というわけで今日もインターンシップ探しています。

 

 

英語で書くことを学ぶ時に必ず読む一冊    

 

古典と言っても過言ではない一冊。真剣なライターなら少なくとも一年に一回は読み返すべし、と言われています。実際書くことについての本を読むと、ほぼ必ずと言っていいほどこの本への言及があって、「Elements of Styleが言わずと知れた古典なのは分かったうえで、何か追加できるものがあればと言った感じで書きました」という断り書きが大抵前書きにあります。それくらいこの本は基本的なところをしっかりとカバーしていて、何度読み返しても参考になる。私は大学受験の時にエッセイを書くにあたって先輩にすすめられて買ったんだけど、それ以来、全体を通しては三回、気になったところだけだともっと、回数を読み返している。

 

1918年の初版以降、幾度か版を重ねる内に内容が増えたり推敲されたりしているんだけど、私が持っている版の内容は「I.文法の基本的なルール」「II.作文の基本的な法則」「III.フォーマット」「IV.よくある言葉遣いの間違い」そして「V.スタイルへのガイド」の五本立て。I-IVではits とit’s の違いとか、コンマの使い方とか、文法のルールをユーモラスな例文を使って教えてくれる。V.はしっかりとした文章を書くには何に気をつけたらいいか、スタイルとはどのように確立するものか、などをたった21個のルールを通じて丁寧にカバーしている。

 

何度も強調される一番大切なメッセージは、いらない単語は削れ、全ての単語に意味をもたせろ、ということ。

 

Vigorous writing is concise. A sentence should contain no unnecessary words, a paragraph no unnecessary sentences, for the same reason that a drawing should have no unnecessary lines and a machine no unnecessary parts. This requires not that the writer make all his sentences short, or that he avoid all detail and treat his subjects only in outline, but that he make every word tell.

— "Elementary Principles of Composition," The Elements of Style

 

指でつまめる薄さなのに黄金の価値を持つ本。日本の大学受験生にも役立つと思うし、そうでなくとも、言語を問わず書くことの基本をエレガントな文章で教えてくれるので、文句なしにおすすめの一冊です。

 

テイラー・スウィフトに学ぶ、開き直る強さ

 

私がアメリカに来てびっくりしたのは、日本の女子高生の間では彼女を好きじゃないと女子失格みたいに扱われるテイラースウィフトが、本場アメリカではださい・頭悪い・ぶりっこシンガー、彼女の音楽を聞いているなんて公言するのは恥ずかしい、というスタンスで語られていることだった。

 

実際これはティーンに人気がある歌手だいたいにおいて言えることで、アメリカでのブームにならって日本に輸入され、洋楽好き中高生の間で人気を博す若い歌手のだいたいが、アメリカではださい人扱いされている。ジャスティン・ビーバーとか、カーリー・レイ・ジャプセンとか、流行っていた当時のハイスクール・ミュージカルのキャストとか、最近ではアリアナ・グランデとか。圧倒的に十代前半 (pre-teen) のファンが多いことも、余計に彼らが子ども向け歌手として見下される原因になるんだと思う。

 

JKの嗜みとしてテイラーのアルバムをツタヤで借り、iPodに入れて持ち歩き、歌詞を暗記して毎晩お風呂で一人コンサートを開いていた私は、愕然として一時期テイラーの音楽を全てiPodから消した。好きすぎて武道館での生コンサートにも行ったのに。でもそれくらい、彼女のスタイルとか音楽を「ださすぎてイタい」とするアメリカの風潮が強かったってことだ。

 

 

テイラーが他の歌手と違ったのは、そこで「いいえ私はかっこいいですよ」って顔をするんじゃなくて、「ダサいよ!ダサいけど何か?」というスタンスをとったことだと思う。カントリーからポップに路線変更して出した「Shake It Off」では、「自分のことを嫌う人なんて放っておいて、先にすすもう」と歌いながらぎこちないダンスを披露して、「別に上手くできなくても、かっこわるくても、楽しければいいじゃん!」というメッセージを出した。グラミー賞とかでのアワードショーでも、他の歌手のパフォーマンスの時に最前列で一人でのりのりでダンスして、「ダサいのは分かってる、だって私ダンス下手だもの。でも自分の好きな歌手のコンサートを最前列で見てるんだから、楽しまないと損じゃない?」とにこにこ言い放って、皆の「イタい…」という反応をよそに踊り続けた。その結果、アワードショーでの彼女のぎこちないダンスは今では目玉の一つになってたりする。

 

 

で、私が何を言いたいのかって、テイラーはこの開き直る路線を突っ走って見事に成功したんだ、ということ。ここ数年での彼女の変化ぶりはすごい。ちょっと前と比べても別人みたい。つい昨日Youtubeで発表された新曲のビデオを見て、私はびっくりした。いや私がびっくりしようがしまいがどうでもいいのはよく分かってるんだけど、でもこのビデオに収められた1989ワールドツアーの彼女は、かっこよかった。ダンスやっぱり下手だし、ちょっと猫背だし、歌も口パクじゃなかったら「え…」ってなるくらい下手なのも知ってるんだけど、でも世界中のステージで自信満々に踊る彼女の姿は美しくて、単純にすごいなーと思った。「ださいけど何か?」って開き直り続ける内に、そして「それでも私は私よ!」って胸を張って舞台に立ち続けるうちに、テイラーは本当にかっこよくなっていた。

 

彼女は美貌で成り上がったわけでも歌唱力が認められたわけでもなくて、ただのカントリーシンガーだったのが、自信満々で突っ走るうちに本当にスーパースターになってしまった。もちろん尋常じゃない量の努力がその成功の裏にはあるんだと思うけれど、とにかく表向きには、「私は私でいるだけ」というスタンスを胸を張って貫き続け、その結果見ている人にも「あ、この人はなんかけっこうすごいのかもしれない」と思わせてしまった。その無根拠な自信というか、開き直るガッツ、みたいなところに彼女の強みがあるんじゃないかなと思う。こういう底なしの自信みたいなの、なんと言うかとてもアメリカ的だなと思う。ヘンリー・ジェイムズの「デイジー・ミラー」という1878年の小説に「アメリカ人女性の魅力は、皆自分が魅力的であると思っているところから来ている」という一節があって、言い得て妙だなと思ったんだけど、テイラーの魅力はそれどんぴしゃりだと思う。でもいくらそれがアメリカ人女性によく見られる性質だとしても、実際ここまで開き直って、ここまで自信をもって突っ走れる人はなかなかいないし、そこを全米が見つめる中でやりぬくテイラーはかっこいいなーと単純に思う。洋楽好きという方もそうでない方も、新曲のビデオ是非見てみてください。

 


Taylor Swift - New Romantics 

 

アメリカの大学のねずみ事情

アメリカで寮に住むということはねずみを共存するということでもあります。少しでも食べものの匂いがする部屋はだいたい彼らの通り道になっていて、ひっそりと部屋に侵入してくる彼らはお菓子を食べ、プラスチックを食い破り、ふんを落として帰っていくので大体の生徒からは嫌われています。実際に長期休みの前は大学のオフィスから「ねずみが来るからね!絶対に食べ物は部屋に残しておかないように!!」というメールが何回か届き、休みの後は「ねずみ…泣」というキャプションとともに外に出しておいたお菓子が食い散らかされた部屋の写真をフェースブックに載せる人がちらほら、というのが定番です。

 

こんな感じで割と嫌われているねずみなんだけど、正直私はけっこう可愛いなーと思っています。まあ単純に見た目がかわいいから、っていうだけなんだけど。東京でたまに見かける巨大なドブネズミとは違って、ここにいるねずみはハムスターサイズでくりくりしたおめめをしていて、勉強している時にささっと部屋の中を走っていくのを見るとさすがにびっくりするけど、よく見るとなかなかキュートなのです。

 

「ねずみって可愛いよね!」と共感してくれた彼氏が何回か捕まえようとしていたんだけど(つまり生け捕り)さすがに失敗してました。ねずみってけっこう頭がよくて、トラップを置いておいても巧妙にチーズだけ盗んでいくか、危ないものには手をつけずに姿を消してしまいます。部屋中にクラッカーとチーズをばらまいたあげく棚やら食器やらをふんだらけにされた彼氏は腹を立て、「もういい」と言って全てを掃除したんだけど、一度この部屋に目をつけたねずみたちが訪問をやめる事はなく、その後もちょくちょく顔を出してはお土産を置いていきます。かわいいけどちょっとやめてほしい。以上ねずみと生きるお話でした。