やねうらストーリー

東京で働く人の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

マリリン・ロビンソンの「Housekeeping」を読んだ

マリリン・ロビンソンはアメリカの作家・エッセイストで、詩のような美しい散文に定評がある。これまでに四冊の小説と、五冊のノンフィクション作品を出版していて、二作目の小説ではピューリッツァー賞も受賞しているんだけど、邦訳作品は「ピーターラビットの自然はもう戻らない」というノンフィクションしかない。

 

私が読んだ「Housekeeping」は彼女のデビュー作。寮の廊下の「いらないからあげる!」コーナーに置いてあったのを拾っただけだったけれど、裏表紙に載ってたNew York Times のレビューを読んだ時にこれは大物だな、って分かった。実際にこの作品は今では「現代の古典」と評されていて、「シルビーの帰郷」という邦題で映画化もされている。

 

物語の主人公は姉妹のルースとルシル、舞台はフィッシュボーンというアメリカ中西部の小さな町。彼女たちが生まれるずっと前に起こった列車の脱線事故で姉妹は祖父を失い、その数十年後、彼女たちの母も列車の後を追うように湖に車で飛び込んだ。母を失ったルースとルシルは、この小さな町で、最初は祖母に、祖母が亡くなった後は二人の大叔母に、そして大叔母たちが逃げ出した後は変わり者の叔母シルビーに、育てられる。小説はシルビーとルースとルシルの生活を丁寧に描いていて、町の人々と距離を保ち、独特な空気をまとって生きる三人の様子が美しい文章で書かれている。記憶にからめられた現在を生きること、うつりゆく世界に身をゆだねること、そして自分の膜の中にこもってでも純粋さを守ること、などがさらさらと描かれていて、くり返される水と湖のメタファーと相まって不思議な読後感のある本だった。

 

くまった話の続き!アイデンティティとは

続きはまた明日って書いたのにだいぶ間があいちゃった。というのも、過去のことをまとめるのは簡単だけど現在の分析をするのはなかなか難しくて、そもそも難しいから悩んでいるわけで、簡単に書けたらそもそも書いたりしないよね、という…

 

無事受験を乗り越えてアメリカにやってきたはいいものの、アイデンティティのゼロ地点からスタートした私には何から手をつけていいのか分からなかった。周りはやりたいことが決まっている人、もう興味がある程度定まっている人ばかりで、政治と哲学に興味あるかな、なんてぼんやりと考えていた私は見事に政治哲学の授業の難しさ(そもそも教授が使っている単語の意味が分からない)に打ちのめされ、英語はしゃべれてもアメリカ人の空気とスピード感についていけず、もう訳が分からないまま一学期目が終了したのでした。でもなんとなくとった旅行文学の授業が面白かったし成績もよかったので、そのあとも文学の授業をとり続けていたら、小さい頃好きだった読書の感覚がよみがえってきて、ああ私はこういうことしたかったんだっけ、文学少女になりたいんだった、って思い出した。よしこれでとりあえず方向性は決まった、と思いきや、なかなか決心がつかず、宗教やらコンピュータサイエンスやら心理学やらいろんな授業をとりまくって、二年生のある時期は心理学で大学院行ってカウンセラーになろうかとか考えたこともあったけど、まあやっぱり文学が好きだったので迷った末に比較文学専攻に落ち着きました。ふう。

 

こうやって書いてみると、考えを言葉にして伝えることとか書くことにやっぱり興味があるのかな、と思う。文学だけではなくて、技術的な面でも、書く事への興味はずっとある。最初アメリカに来たときは単数と複数形の区別もしっかりついてなかったのに、三年でだいぶきちんと英語の文章を書けるようになって、大学のライティングセンターで働いて他の生徒の論文を添削できるレベルになった。文学の授業も最初はわけわかめだったけど、最近やっと意義のある発言ができるようになってきた、と我ながら思う。まあそんなこと言ったって大学生だし、大学の小さなコミュニティとアメリカとはスケールが全く違うからたいしたことはもちろんまだ出来ないんだけど、でもそれもこれも好きだから上達したいと思えたのかな、と思う。もっと上手に書けるように、もっともっと深く考えられるように、なりたい。そういう考えもあってブログ再開したくなったのかもしれない。

 

長い独り言になったけれど、なんとなく考えはまとまったしよかったかな?自分にやりたいと思えることは他にないような気がするので、とりあえずは夏の出版社でのインターンシップを探している。かれこれ4年くらい悩んだけれど、アイデンティティなんて、考えて決めるものじゃなくて、心のわがままが指し示す方向性みたいなものなんじゃないのかな、と思うようになりました。おしまい。

くまった!やりたいことが分からない

 大学三年目にして「やりたいこと・本当に興味のあること」が見つからないという超典型的な悩みに直面しています。いやいや今更!?王道すぎて自分でも笑えてくる…

 

そもそも私は「やりたいこと・本当に興味のあること」を見つけたくて留学までしたようなものなのに、なぜこんなことになっているのか。そんなこと考えた事もないよ?みたいになあなあと就職していく人々を内心馬鹿にしていたのに、なぜ自分が。だらだら過ごしたかと聞かれれば決してそんなことはない。でも毎日必死で頑張ったかって聞かれたらそうでもないかも。うーむ。

 

中高は演劇系の部活で、青春ばりばりの6年間を過ごしました。授業が終わった瞬間にジャージに着替えて練習場所に走っていったり、放課後マックでストロベリーシェイクを飲みながら同輩と劇の方向性について話したり、毎日「うわー青春してるよ」って我ながら思うくらい、すごく楽しかった。華のJK時代ですね。でも演技がそこまで得意だった訳ではなくて、むしろ演じるより歌う事、演劇より映画の方が好きなので、部活ありきの趣味みたいなところは多分にあったと思う。

 

それで高校二年生になって進路を考えた時に、やっぱりこのままではいけないなと思った。自分が何を大切にしているのか考えた時、己は何者かって考えた時に、学校名とか通知表の数字とかしか浮かんでこなくて、第一志望にしていた大学もブランド名に惹かれていただけだということに気づいて、情けなさすぎて涙が出た。でも悲しいからって気づかなかったことにするわけにはいかないので、そこから今ここで真剣に考えないと私の人生はだめになると思って、人生が終わるみたいな表情で毎日思い詰めて考えた結果、留学することにした。とにかく今の自分はブランドやら数字やらに惑わされすぎている、コンテクストが通用しない外国に行っちゃえば本当の自分とやらに向き合えるかもしれない、と思って。

 

ちょっと長くなったので続きは明日!くまった時は寝るのが一番。

春がきた

3月下旬、朝夕は肌寒いけれど、10度を越える日が安定して続くようになった。待ちに待った春!今年はぐずぐずと冬が続いて、まさかの立春の日に雪がふるというカレンダー泣かせの天候でした。でもここ何日かでやっと桜のつぼみがみえてきて、日に日に花壇がにぎやかになってきています。キャンパスは植物でいっぱいなので、春は冬の間に枯れていた草花がむせるように命を吹きかえし、色であふれてとてもきれい。春のキャンパスについて話す時に皆がよく使う「Gorgeous」という形容詞がぴったりです。

 かくいう私も今日は花柄のワンピースを着て、風景のカラフルに便乗してるんるんでした。

ゴミ箱ありがたや

アメリカでの生活についてとても気に入っているところ、ゴミ箱がいたるところにあること。

街中でも、建物の中でも、寮の廊下でも、とにかく数メートルおきにゴミ箱があって便利です。手にゴミをもったまま捨てる場所がなくて、結局家まで持って帰っちゃうなんてことがない。それだけ環境への意識とか、気軽に廃棄物を出すことへの罪悪感が低いということなのかもしれないけど、少なくとも大学においては分別はしつこく注意されるので、皆が必ずしもそうというわけではないと思う。日本では、私が育った20年あまりの間に公の場のゴミ箱がずいぶんと少なくなった気がする。おそらくテロ事件などを受けて、市民の安全に配慮した結果なんだと思う。でももちろんそれは承知の上で、駅とかでゴミを捨てる場所がないのが地味にきつかった...小さなゴミを捨てたくてコンビニに入って、入ったからにはと思って過包装された物を買って、さらにゴミを出す、みたいなことしてしまうのは私だけなのかな?しょうもないことのように見えるけど、アメリカに来て最初の一ヶ月、一番感動したのがゴミ箱だったと言っても過言ではないかもしれない。勉強とか生活とか大事なことに関してはあっぷあっぷで感動している暇なんてなかったので、こんなにささいな日常生活の不便がなくなったことがけっこう嬉しかった。

ああゴミ箱ありがたや。

小津安二郎の「お早う」を観た  

今学期は「東京メトロポリス­−文学と映画を通して–」という授業をとっていて、その一貫で観ました。面白かった! 

舞台は1950年代後半の東京郊外、小さな団地の人間模様を描く映画です。意地悪なおばちゃんとか、テレビが欲しくてストライキに出る子どもとか、スケールがすごく小さいからこそ伝わってくる感情がありました。あーこういう人いるよねー、とか、私もすごくその気持ち分かる、って。先週は「東京物語」を観たけど、正直ペースがゆっくりすぎて途中で飽きてしまった。でも「お早う」と「東京物語」を両方とも観た今、ここまでスケールダウンしても面白い映画を作ったところに小津監督のすごさがあるのかな、って思う。普通だったら近所付き合いのごたごたの映画なんて(もちろんそれだけではないんだけど)絶対観たくない − 自分の生活でいっぱいいっぱいだから、映画を観る時くらい夢をみたい。でも「お早う」は徹底的にリアルな日常生活を描いているから、嫌な夢というよりは面白い噂話を聞いているみたいで、なおかつ自分に直接利害がない噂話だから、観ていてすごく面白い。あんまり数をみていないから完全な偏見だけど、日本映画ってリアルを装った夢物語、みたいなのが多い印象がある。そういう映画って妙に現実離れしていて、なのに「どう?共感できるよね!」みたいな感じを受けてしまってつまらない。でも「お早う」は違った!また観たいな。

そしていさむくん…島津雅彦演じるいさむくんが可愛すぎてどうしよう。こんなに映画の中の小さい子が可愛いと思うことはあまりないくらいに可愛かった。ほんとにもう、画面の中に手つっこんでほっぺたむにむにしたいくらい!

 

ネット上の文章の未来

長いこと放っておいたけれど、ブログ再開!今回こそは少しずつでも毎日更新できたらいいけど、出来るかな?

 

浅野いにおさんのふんわり男を読みました。ふんわり鏡月の広告の一環の漫画で、更新回数に伴ってストーリーが少しずつ変わる仕様がウェブで話題になってます。

 

漫画のクオリティは高いし娯楽として読むだけでも面白かったけど、やっぱり読むたびにストーリーが変わる工夫に一番はっとさせられた。細かく言うとネタバレになっちゃうから書かないけど、普段漫画とか本とかを読む時に、無意識のうちに想像でストーリーをけっこうふくらませてるんだってことに気づいた。作品中で読者に与えられている情報って限られていて、そこを想像でふくらませるところに読む楽しみがあると思うんだけど、この作品だと想像の答え合わせみたいなことができる。そうすると初見よりももっと深く登場人物のことを知る事が出来て、読むことに対する姿勢が少し変わった気がした。そしてそういうフォーマットの話を抜きにしても漫画面白かった。ソラニンも読みたい!

 

他にデジタル媒体であることを利用した記事だと、小野ほりでいさんの http://sougi.minrevi.jp/kikaku/space/ が印象深い。デジタルとアナログの効果的な融合に、ネット上の文章の未来があるのかな、って思う。