やねうらストーリー

東京で働く人の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

ネット上の文章の未来

長いこと放っておいたけれど、ブログ再開!今回こそは少しずつでも毎日更新できたらいいけど、出来るかな?

 

浅野いにおさんのふんわり男を読みました。ふんわり鏡月の広告の一環の漫画で、更新回数に伴ってストーリーが少しずつ変わる仕様がウェブで話題になってます。

 

漫画のクオリティは高いし娯楽として読むだけでも面白かったけど、やっぱり読むたびにストーリーが変わる工夫に一番はっとさせられた。細かく言うとネタバレになっちゃうから書かないけど、普段漫画とか本とかを読む時に、無意識のうちに想像でストーリーをけっこうふくらませてるんだってことに気づいた。作品中で読者に与えられている情報って限られていて、そこを想像でふくらませるところに読む楽しみがあると思うんだけど、この作品だと想像の答え合わせみたいなことができる。そうすると初見よりももっと深く登場人物のことを知る事が出来て、読むことに対する姿勢が少し変わった気がした。そしてそういうフォーマットの話を抜きにしても漫画面白かった。ソラニンも読みたい!

 

他にデジタル媒体であることを利用した記事だと、小野ほりでいさんの http://sougi.minrevi.jp/kikaku/space/ が印象深い。デジタルとアナログの効果的な融合に、ネット上の文章の未来があるのかな、って思う。

 

 

パジャマな日本

アメリカでの一年目が終わって、日本に帰ってきた。電車のホームとかコンビニ菓子とか自分の部屋の匂いとかが、懐かしい。

 

冬に帰ってきたときに感じた息苦しさは消えていた。前回は、どこに行っても見かける同じようなメイクをして同じようなお洋服を着たお姉さん達とか、刺激がなさすぎる平和な空気とかが我慢ならなくて、自分はここには馴染めないという違和感から早くアメリカに帰りたくてたまらなかった。

 

今回は違う。日本の安定した社会が心地よい。同じようなお姉さん、同じような毎日、同じような会話がいかにも日本らしいな、と思える。アメリカにいることに慣れて、日本を一歩引いて見られるようになったのかもしれない。冬には「私はここにいるべきじゃない」と叫び出したくなるくらい毎日が嫌だった。今は、素直に「私はここにいるようにデザインされているんだ」と認められる。同じような顔、同じような身長。使い慣れた言葉に内輪ネタのジョーク。私は生まれも育ちも日本だから、なんのギャップもないかのようにすんなりと周囲にとけ込める。

 

日本にいると、まるで着古したパジャマを着ているようだ、とふと思う。パジャマは着心地がいいし、動きやすい。ほつれた部分もあるしもう何年も使っているけれど、だからこそ愛着があるし、何より着ていてらくちんだ。

 

でもパジャマだけを着続けている限り、人は本当の姿を表すことはできない。古いパジャマに愛着はあっても、そのパジャマはあなたの趣味とか体型とか、個性と言われる部分を完全に表しはしない。同じものを着続けて、同じ場所に居続けて、それでは個性の発揮のしようもない。面倒くさくても怖くても、自分の好きな服はどういうスタイルだろう、値段は高いけどあのブランドの服に挑戦してみようか、そんな気持ちで外行きの服も選ばないと、人はいつまでたっても変わらない。そしてそういう服とパジャマが合わさった時、ワードローブは人の本来の姿を表現するんじゃないだろうか。

 

アメリカにいると、私は勝負服を着ているかのように毎日ぴんと背筋をのばしている。だらけていると、負ける気がする。一人の大人として扱われるから、周囲から自分はどう見えているのか管理しなくては、そして自分が何をしたいのかきちんと理解していなくては、という意識が働く。

 

今回の帰国が前回と違うのは、私が外行きの服を手に入れたからだと思う。日本は心地よいけれど、ずっといる場所ではないと分かったから、そしてアメリカで過ごすことで自分の中身が成長したから、心地の良い場所にいてももうだらけることはない。ここにいると怠けてしまうという危機感を日本のせいにして「パジャマなんておしゃれじゃないから嫌い」と叫ぶのではなく、素直に「パジャマって楽だ」と認められるようになった。

 

帰ってくる前は日本で過ごす夏に乗り気じゃなかったけれど、今なら大丈夫だと思う。しゃんと背筋をのばして、日本で成長してアメリカに帰りたい。

 

 

 

ちなみに。姿勢に気をつけていた結果、家で測ったら身長が2cm伸びていた。内面にも外見にもしゃんとすることはプラスらしい。中高の時の伸長率から考えると奇跡のように高くなった身長を生かす新しい服が買いたい。

インターネットの世界に手を出してしまった

ものすごい量の情報が、だれが整理するでもなく、ただ膨大にふくれあがっている。

 

「ネット」ってTwitterFacebookだけじゃないかも!?と今更になって気づいた私は、リンクを飛んでブログやらサイトやらを見ていてこんな風に思った。

  

アクセスのある人は自分の意見を書き込み、公開し、でもたいていは数人にしか読まれることもなく、その意見は埋もれていく。私はネットの世界の大きさと無尽蔵さに目がくらみそうだった。最初は、次から次へと現れる新しい刺激でネットって面白い!って夢中になったけど、しばらくしたらあまりの際限のなさにくらくらした。砂漠の入り口にたって、どこまでも続く細かい粒のうねりを呆然と眺めているような気分になった。ここに分け入っていったら、埋もれて帰ってこられなくなりそうな気がした。面白い情報なんて、それこそきりがなく存在する。それを探して行っていたら、どれだけ時間があっても足りないだろうなって、砂漠の奴隷になっちゃいそうだなって、思った。

 

完全に初心者の私は正直まだどうしたらいいのか分からない。ネットって広い。どんなに砂の中を歩くのが得意な人でも、砂漠の全貌はとらえきれないと思う。世界中の人が参加してるもんなぁ処理できる限度を越えた広さに対してどう反応したらいいのか分からなくて、まあとりあえず飛び込んでみようかなって勢いでブログ書いてる。少しずつ砂漠の歩き方を学んで行こうと思う。

 

 

 

書きたくなって、ブログ始めてみた

小さいとき、将来の夢は小説家になることでした。

 

小学生の頃はずっと周りにもそう言ってたんだけど、中学校に入ったら自分なんかより文章が圧倒的に上手な人は山ほどいるんだって気づいて、部活に夢中になったり受験があったりで自分はきちんと文章を書いてみたかったんだって完全に忘れてた。日記はずっと続いてて、文章自体は書いてたんだけど、人様の目に触れる形にはしませんでした。

 

無事大学生になった今、やっと「世にはブログなるものがあり、それを使えば誰にでも人に読んでもらえる(可能性のある)ものが書けるのではないか!わお!」って気づいて、俄然「自分もやってみたい!」テンションになりました。

というわけで、ブログ始めます。

 

内容は大学生活について、勉強してることについて、普通に思ったこと、などになるかな?

頑張って続けたいと思います。では。