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やねうらストーリー

アメリカ留学中の女子大生の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

米国留学生からみた大統領選挙

誰もが予期しなかった選挙から数日がたち、少しずつ生活も落ち着いてきて、トランプ氏が次期大統領になるということが現実味を帯び始めてきたので、考えている事を書こうと思います。

 

火曜日の夜はショックすぎて何がどうなっているんだ、という感じだったのですが、数日たった今、とにかく現実を解釈して、次どうするかを考えなくてはいけない、と思っています。

 

今回の選挙結果を受けてひしひしと感じたのは、まず、自分はよそ者なのだ、という事です。この三年間、すごくリベラルなキャンパスにいたこともあって、何となく自分は歓迎されているような、留学生ではあるけれど、アメリカという国の一員であるかのような、そんな気がしていました。実際にこのキャンパスでは多様性を非常に重視しているので、この三年間はとても居心地がよかったです。だからこそ、将来はアメリカで就職したい、ビザをとるのが厳しくても、なんて思っていたのです。

 

でもトランプ氏が選挙に勝ったのを見て、自分の見ていたアメリカがいかに狭かったかを思い知りました。私にとってアメリカは、東海岸のリベラルアーツカレッジのキャンパスのみだった、というのが嫌という程分かりました。実際、私はトランプ支持者を一人も知らなかったし、周りの人たちはだいたいが予備選ではサンダース氏、本戦ではクリントン氏を熱心に支持していました。フェイスブックやツイッターでトランプ支持者の書き込みを見ても、何だこの人たちは、何考えてるのかさっぱり分からん、といった感じで、彼らの住んでいるアメリカは本当に別世界のようでした。

 

大手メディアも、私の見ていた狭い世界の一部だったということが分かりました。私は毎日ニューヨークタイムズをチェックしていたのですが、11月7日、クリントン氏の勝率は84%になっていました。その日の朝刊を読むと、クリントン氏に関する記事は楽観的で、まるで勝利は当然かのように書いてあるのに対し、トランプ氏に焦点をあてた記事は一人寂しく、見込みのない戦いで消えてゆく敗者の最後の一日、といった雰囲気で書いてありました。それはもう当然クリントン氏が勝つに違いない、と思っていたのですが、8日の夜、勝率のグラフがどんどん様変わりしていくのをみて、世界がめちゃくちゃになっていくような感じがしました。

 

 

私が日本人なのにまるで自分のことのように選挙結果にショックを受けているのは、実際にこの選挙は自分のことだからです。トランプ氏は移民に対して怒りの矛先を向けて、メキシコ移民やムスリム教徒を追い出すことを公約(というか、口約束?)にして選挙に勝ちました。実際に私が欲しいと思っていた就労ビザや、グリーンカードのシステムも変える、と言っています。私が住みたいと思っていた国は、実は移民が歓迎されない国だった。彼が選挙に勝った事で、マイノリティに対して暴言を吐くことや、出身国と肌の色を理由に差別をすることが問題ではないかのような風潮ができてしまった。

 

今、トランプ支持者の人たちの書いた記事を出来るだけ読んで、彼らが何を思っているのか、知ろうとしています。よく見かけるのは、「私はトランプに票をいれたが、だからといって私が人種差別主義者なわけではないし、外国人が嫌いなわけではないし、女性の権利がどうなったっていいと思っている訳ではない。トランプ支持者だからといってラベルを貼らないでほしい。」というものです。でも私はその論理の理解に苦しみます。だって、彼は「メキシコ人の血が入っているから裁判で公正な判断が下せない」とか「カーン夫妻の妻はムスリム教徒だから発言する事を許されなかった」とか「スターだったら女になんだってできる」とか言ったのに。そんな人を大統領にするということは、そういうことを言ったりやったりしてもたいした問題はない、と考えているということと一緒なのでは?またよく見かけるのは、「彼は選挙中だったから勝つために適当なことを言ったけれど、実際に大統領になったらきちんと働いて、貿易や外交や税制を改革して私たちのために働いてくれる」という、彼の言葉と行動を自分に都合良く切り離す主張です。でもこれも論理的におかしいと思います。そもそも適当なことを言う候補だと思っているなら、何を信じて票を入れたんでしょうか?むしろ何もかもが適当なんだ、貿易も外交も、と思う方が妥当じゃありませんか?論理で説明できない票なら、いったいなぜ人はトランプ氏に投票したのか。

 

ここ数日で、なぜ彼が勝ったのかを分析したいろんな記事を読みました。エスタブリッシュメントにファック・ユーというためにトランプに票を入れた人が多かった、という分析や、何かしらの変化が欲しかった、という分析や、黒人の大統領への巻き返しだった、とか。色んな理由がからみあった勝利だったと思います。私としてはこの記事の分析が一番腑に落ちました。

 

jp.wsj.com

 

いったん政治や経済のコンテクストを越えて話を広げるとすれば、私が今回の選挙で学んだのは、結局のところ、人は他人でも国全体でも論理でもなく、自分にとって何が大事かを考えて票を入れるんだな、ということだと思います。政治や経済のプロではないので、本当に素人の未熟な考えになってしまいますが。

 

確かに、私が白人で富裕層だったら、アメリカに都合のよい政策を実行してほしいだろうし、その引き換えにマイノリティが多少差別されたって、自分が困る事は特にない、と本音では思うかもしれない。白人ばかりのコミュニティで育って、そんな中で移民が引っ越してきていい仕事につくのを見たら、追い出せと言いたくなるかもしれない。「女性だけどトランプに投票した」という人は、もし彼が大統領になって、例えば中絶を違法にしても、自分はそんなに迷惑を被らないと思ったんだろうと思います。それよりも私にとって大事なのは、経済の立て直しだ、と思ったのかもしれない。私がこんなにトランプ氏の勝利でショックを受けたのは、もちろん自分の現実認識が覆されたからというのもありますが、彼の言動が私個人にとてつもない被害をもたらすからというところも大きいです。でも私にとって大事だったことは、他の人にとっては必ずしもそんなに大事じゃなかった。私がアメリカのコアだと思っていたこと – 移民の国、多様性を重視し、誰でも夢を追いかける事が出来る自由の国 − は実際はアメリカ全体にとって一番大事なことではなかった。当然のように、アメリカは、日々生活し、不況に悩まされ、犯罪をニュースで目にし、家計簿をやりくりするので精一杯な人々が暮らす普通の国だった。理想ではなく、現実にもとづいて、人々は票を入れた。それがクリントン氏であれ、トランプ氏であれ。そんな当たり前のことを民主党と共和党の両方が見落としたことが今回のサプライズ選挙につながったのではないでしょうか。

 

アメリカを離れて考えてみれば、イギリスのBrexitやフランスでの極右政党の台頭など、世界的に反グローバリズムの波がやってきているような気がします。人がまず自分の利益不利益を重視するのなら(それは当然だと思います)、グローバリズムは多くの人々の利益を置き去りにしてきたのかもしれない。今、その不満の声が噴出しているのかもしれません。

 

多様性を重視しようという考え方は、昔から人間社会に当然のようにあった考え方ではなく、グローバリズムの波に合わせて出てきた時代特有の考え方だった、ということがここ数日でやっと見えてきました。アメリカで大学教育を受けたので、多様性の重視は当然のことかのように考えていましたが、そうじゃないですよね。就職の記事にも書きましたが、中世ヨーロッパの騎士が多様性を重視しよう、なんて言っていたとは思えないですよね。

 

もしもグローバリズムに逆流するような政治が主流になったとしたら、多様性を重視する風潮も消えてゆくのかもしれない。政策も、経済も、貿易も、自国優先が正義になるかもしれない。トランプ氏の勝利はその一部だった、そんな気がします。もし世界全体がそういう方向に向かっているとするならば、自分の利益を優先する個人として、私はどこの国で、何をすればいいんだろう。選挙の結果が出た今、これまでになかった危機感を持ってこれからの日々を過ごす事になると思います。

アメリカの大統領選をうけて

大統領選が終わりました。結果が出る数時間前までは絶対にヒラリーだろうと安心して図書館で勉強していたのですが、投票結果が出るたび、フロリダの色が変わるたび、心配がどんどん募り、結局ぎりぎりまで画面にかじりついていたので、寝たのは2時過ぎでした。夜中、トランプが大統領になった、という悪夢をみて目が覚めて、朝起きたら現実になっていました。今日のキャンパスはお通夜のように静かです。私はアメリカの何を見ていたんだろう。トランプは、移民を減らすにあたって、就労ビザとグリーンカードを廃止したいそうです。一年先の未来が全く見えなくなってしまいました。以下、英語ブログに書いた記事ですが、どうせならこちらにも貼っておこうと思いました。もうちょっと冷静に考えられるようになったら、日本語で書こうと思います。

 

I’m stunned, I don’t know where to begin. It’s a sinking feeling – so many things are running through my mind and heart right now, and I hope, I just hope that writing about it will help me process what is going on and move forward.

 

First off, I now know that the America I knew was only a fraction of America. Not just the campus of a liberal arts college, the media as well. All I thought was America was apparently an elite crust that many others resented and wanted to destroy. It seemed that I lived in a happy echo chamber consisting of people who are at least willing to understand other people’s positions through rational discourse, or who, after years of hurt, had the courage to stand up and fight for their rights. A group, albeit diverse in background, consisting of people who are well-educated. All I knew of America was of people who at least could see through the consequences of a political vote. And that was the America I liked, that was the America I wanted a place in. Today I know that I am not welcomed by the majority of Americans. I am reminded that I am a mere visitor, that I came here to study abroad, that as an Asian person I am not welcomed in a country created by white people. They elected a president who wants to halt immigration and discriminate based on a person’s color of skin or religious beliefs.

 

I now see that America really is a project; that it began as a huge social experiment that has been created by the hands of those participating in it. Human rights are something to be fought for, not granted. I never, I think, knew that. Seeing an entire people lose a fight in front of my eyes was enough to understand that not everything is given. Progress is not natural; it is truly a human made concept, built through hundreds of years of experience and blood shedding. Yesterday, half the American population wanted a world that they lived in the past, or at least, something different from what they saw as progress that left them behind. How else can I make sense of the election where people voted against gay marriage, gender equality, women’s rights, racial justice, environmental change, and so much more? What are America’s values, I wonder – where were the core principles that all the politicians said Trump sabotaged? Did it even exist in the first place if half the people voted against it? I am so confused about this country right now. If about half the people wanted a country that is made up of white people and consumes only things made in the United States, well, sure – but that certainly goes against everything that the world thought the United States was about. We all thought America was about progress, about pursuing justice and freedom. Freedom; freedom only for a select few that looks and thinks in a similar manner to the president?

 

In a climate where immigrants are not wanted, I am not wanted. I see that now. I am disappointed in this country. I need to see what Trump actually does as president, if he really can destroy 240 years worth of history. But if he does, if he does want to destroy everything, I don’t have a place here. Heck, I don’t even get to participate. I’m a visitor with a student visa.

 

Until now, I took my place in the United States as granted. Yes, I am an international student, but I’m a college student – I wanted to stay here after graduation, and was hopeful that eventually I will get a work visa, and then a green card. I thought, foolishly, that America would welcome me with open hands as a country founded by immigrants. No, no, no. I was just starting to understand the racial divide in this country and the meaning of the color of my skin when Donald Trump was elected president. I didn’t see my place. I now feel thankful, even nostalgic, for the America that showed me for three years an illusion of an inclusive, welcoming, free country.

 

So what do I do now? Now that international politics is involved, this is no longer a question of principles for me. This is a matter of safety. As much as I like America, what it showed me last night was not the America I thought I lived in. I don’t know if I want to stay here anymore. Thankfully, I have a choice. This is an immense privilege, something that those who were born here and have a home here don’t have. I need to make my choice wisely.

 

And if I do choose to stay here, if I want a place here as my own, I now know that I need to do my fair share as a member of this boat. I need to be fighting for my rights, and I need to understand the consequences of each fight. Not just in the United States, though – after last night, I know what democracy looks like at its raw core. I need to recognize that the world is in our hands, in my two small hands, along with many others’ with various shapes and color. This is our world, and we will live here as long as we can fight for ourselves.

大学4年生だけど就職したくない

 突然ですが、就職したくない!!!

 

「したくない」だとかなりわがままな感じだけど、より正確に言えば、「なぜ就職しなければいけないのか」が分からないから、と言うのが本音です。

 

「就職する」という言葉だけなら分かる。けれど、現在の日本社会で「就職する」という言葉には、「大学を卒業する前から企業を探し、企業のしている事業と自分の価値観を擦り合わせ、念入りな準備を何ヶ月もして、採用プロセスを経て企業の一員となる」というところまでが含まれた概念になっているようです。

 

そもそも、なぜ大学を卒業したら仕事につかなければいけないのか。多くの場合、就職はレールの上の次のストップの1つになっているような気がします。高校を卒業したら大学に入る。大学に入ったらサークルに入る。大学を卒業したら就職する。レールが敷かれているのがダメだとは思いません。レールがあれば、多くの人の人生が上手に統制され、社会も安定するように思います。でも、そもそもそのレールが想像上のものならば、レールの上を走るのも、レールを外れるのも自由なんじゃないか。なぜレールの上で走り続けなければいけないのか。と、大学に進学する時点で少しだけレールを外れた私は思うのです。

 

また、就職サイトのあちこちで見受ける、「世界を変える」「社会をよくする」という言葉。社会をよくする…私にはどうもふわふわしていて、よく分かりません。

 

そもそも、社会のためにという考え方が、非常に現代に限られた考え方ではないかと思います。留学してみて、ある文化で絶対とされている価値観が他の国では存在すらしない、という事実を目の当たりにしました。「常識」「こうあるべき」みたいな考え方は非常にうさんくさいです。歴史の授業をとってみて痛感したけれど、国や文化だけでなく、時代にとっての常識も、100年程さかのぼってみれば簡単に崩れ落ちます。例をあげてみれば、奴隷制度は長らく当然のように存在していました。アリストテレスは奴隷制度を当然のこと、と書きましたが、今では公でそんなこと言うのはありえません。同じように、例えば中世ヨーロッパの騎士とかが「社会のために働く」なんて言っていたとは、どうしたって思えません。それならば何のために働くのか。なぜ働くのに「社会のために」という大義名分が必要なのか。なぜ働く=企業の一員になる、なのか。時代が変われば人の考え方が変わるのは当たり前です。常識が国によって違うのも、当然のことだと思います。でも、私はそれに縛られたくない。

 

私は、社会よりも自分のことを優先したい。どうせ死ぬんだから。なにやったって、どんなに批判されたって、どうせあと60年くらいしたら死にます。心から信じられるプリンシプルのような何かがほしくて、ゆるがない真実はなんなのか、そもそもそんなものはあるのか、をずっと考えてきました。まだ答えはないけれど、前よりは考えがクリアになってきた、と思います。1つ分かるのは、社会の常識のようなもろいものをプリンシプルにはしたくないということ。突き詰めて考えた時に自分が信じられるものを最優先して人生を生きたい。

 

当然、こういう私の考え方も時代に規定されているのだろうとは思います。1990年代の日本で生まれたからこそ、大学時代に留学ができた。多少は自由がきくような風潮の中でこれまで過ごしてきたからこそ、私は自分を優先したい、なんて考えが思い浮かぶような22歳になったんだろうと思います。周囲に影響された部分も多分にあるので、これも時代の風潮なのかもしれません。それでも。時代を越えて受け継がれてきた本を読み、人間とは何かを問い、変わらない真実はなんなのか、を考えることでここまでたどりついたからには、同じように考えた人が、きっと、何百年も昔にもいたんじゃないだろうか。少しは、普遍的ななにかに近づいているんじゃなかろうか。というか、私が当然だと思う事が他の国や時代では当然じゃないのでは??って、ちょっと考えればすぐ分かることのような気がします。

 

仕事がしたくないわけではなくて、むしろ、仕事はしたいです。職業につきたいとは思います。願わくば、何かのプロになりたい。留学する時の目標は、自分の二本足で立って、自分の頭で考えられる人になることでした。大学を卒業したら、これに、自分の力でお金を稼ぐ、を付け加えたいと思います。胸をはって、私はこういうことができます、と言えるようなスキルを身につけたい。そして、すこしでも何かの価値を生み出せるような人になりたい。できれば、何百年も昔からすでにあったような、人間にとって根本的な部分で変わらないような職業を選びたいと思っています。

 

そのためには、まだ学ぶべき事が山積みで、まだ仕事をしたいという気にはなれません。考え方も弱いし、知らないことが多すぎる。卒業したら、とりあえずは適当な仕事を見つけて、生活できる程度のお金を稼ぎながら、自分のために時間を使いたいです。ゆくゆくは自由が欲しいです。しばらくの間はきついかもしれませんが(しばらくじゃなくてずっとの可能性もあり)自分で決めた事なら本望だと思います。

 

というわけで、就職したくない!!!けっこう暴論になった部分もあったかと思いますが、卒業がせまる今、こんなことを考えています。私個人の経験にもとづいて考えているので、だいぶ視野も狭いと思います。結局は現実に負けちゃうかもしれないし。でもだからこそまだ学ぶことがたくさんある…と思っています。

パトリック・モディアノの「Suspended Sentences」を読んだ

 

今年のノーベル文学賞が発表されたということで、ノーベル賞つながりの読書ポスト。

 

パトリック・モディアノはフランスの作家で、2014年のノーベル文学賞受賞者です。お父様がユダヤ系イタリア人だったということで、ナチス・ドイツ占領下のパリを舞台にした作品が多く、曖昧な記憶や消失した人々、若さやアイデンティティ等をテーマにした作風で知られている。

 

私が今回読んだのは、彼の中編を三つ集めた英語の本。それぞれのストーリーは互いにつながっていないんだけど、テーマ的なつながりが深いということでつなぎ合わせて一冊の本にしたそうです。

 

確かにどの中編も遠い昔の記憶、変わってしまったパリ、現れては消えてゆく人々、などをテーマにしていて、共通してノスタルジックな雰囲気が流れていました。文章も当然ながら美しい。ノーベル賞の受賞理由として、スウェーデン・アカデミーは「最も捉えがたい人間の宿命を想起させるとともに、占領下の世界を浮き彫りにした記憶の芸術」と発表したけれど、「記憶の芸術」という言葉はこのノスタルジックな雰囲気にぴったりだと思う。ノスタルジックといっても、セピア色の写真みたいな感じじゃなくて、失われてしまった何かを悼むような悲しさがある。

 

フランス文化に興味があって、大学でフランス語を三年間も勉強した私にとっては、ぐっとくる作品でした。日本語訳された作品もいくつかあるみたいなので、美しい文章や、パリに憧れがある人、記憶がテーマの作品に興味がある人は、ぜひ。

 

6月に読んだ7冊の良書 - キャッチ-22, ティファニーで朝食を、他

夏が始まって1ヶ月がたった!

 

3つやっているインターンはどれも順調で、日々出版業界について学んでいます。そのうちの一つ、ブックスカウトのアシスタントとして原稿を読むものに関しては、22冊の未販売の本の原稿を読んでレポートを書きました。げーってなるレベルのもあれば、なかなかホットな原稿もたまにはあって、有名な作家のに至っては未出版の本なのにWikipediaのページがあったりしました。出版は死ぬとか死なないとか、もう本を読む人はいないとかいや私は読むよとか、いろいろ意見があるけれど、実際に業界に足をふみ入れる前にお試し期間として経験をつむことが出来ているのはラッキーだなと思う。と同時に、自分が本当にこの業界で働きたいのか、そもそも本とは、文化とは何なのか、を慎重に考えている。

 

本題!自由な時間が増えたので、沢山本を読んでいます。上に書いたインターンの原稿を読むのにけっこう時間がかかる(週4日、朝一で原稿が送られてきて、24時間以内に100ページ読んで4ページのレポートを書く)ので自分の好きな本は思うように読めないのが現状だけど、それでも毎日少しづつ読んでます。日本語に翻訳されてない本もあるけど、せっかくなので紹介しようと思います。

 

 The Artful Edit by Susan Bell

ノンフィクション。長年編集者として働いてきた著者が、ライターに向けて推敲の仕方を説明する本。原稿に手を入れるをいう行為は文章を書く上では基本中の基本だけど、多くのライターが書く部分のみに注目してしまう、というところから始まって、ライターが自分で推敲・編集作業が出来るようにこの本では解説するよ!という趣旨。推敲をマクロとミクロレベルに分け、それぞれをさらにいくつかの視点に分けて、分かりやすい例えや興味深い文学エピソードを交えて書いている、秀逸な本。特にフィッツジェラルドがどうやってグレート・ギャッツビーを推敲したかを彼と編集者の手紙からひもといた部分が面白かった。推敲に主眼を置いた本だけど、推敲って文章の構成とか意味とかを理解するところから始まるので、書くことについても学べる。すっごくいい本だったので、私はちょいちょい読み直したいなーと思った。

 

オセロ&ハムレット シェイクスピア

お恥ずかしながらこの2作品をしっかりと読んだことがなかったので...さすがにこの夏は読もうと思って英語で読みました。特に私がつけたす事もないと思うけど、ちょっとだけ感想を言うとすれば、17世紀に書かれた作品に引き込まれることに改めて物語の強さを感じた。よい物語は、耐久性がある。

 

 キャッチ=22 ジョーゼフ・ヘラー

面白かった。読みながら何度も声を上げて笑った。ものすごく不条理な現実を描くのに、絶望的なトーンではなく、強烈なブラック・ユーモアという手法を選んだ現代の傑作。物語に入り込むまでに少し時間がかかったけど、軌道にのってくると止まらなくなる。ハヤカワがつい最近新刊を出したみたいなので、読もうと思っていた人はこの機会にぜひ。

 

フラニーとズーイー サリンジャー

大学生の女の子とそのお兄ちゃんのお話。現役大学生としてはぐっとくるものがあった。アイビーリーグの学生って今も昔も全く同じなんだな、とか思ったり。可愛らしい感じのお話なのに胸をえぐられてダメージをけっこうくらった。両方ともニューヨーカーで最初に出版された作品なんだけど、フラニーの方は特に、短編小説として超一流だと思う。人物描写が抜群にうまい。ズーイーはもう少し長めの作品で、フラニーで描写されたテーマをこっちで掘り下げていく感じ。「偽物」が嫌いな人、胸をえぐられたい人、村上春樹の翻訳が読みたい人、ぜひ。

 

テヘランでロリータを読む アーザル・ナフィーシー

アマゾンで検索したら、この本、日本語に翻訳されているのね!!!文句なしのおすすめ。革命後のイランで西洋文学が徐々に弾圧されゆく中、家で密かに読書会を開いた体験を英文学者が綴ったノンフィクション。著者は欧米で教育されたイラン人の大学教授。女性の抑圧に嫌気がさして大学を辞めた彼女は、優秀な7人の生徒を家に招いて毎週木曜日、読書会を開く。ジェーン・オースティンやヘンリー・ジェームズなど、本屋から消えゆく文学を密かに読んで議論する8人の女性のお話。読書会での議論や大学の授業など、18年間イランで生活した日々を著者が文学作品にからめて回想する本。

大学で文学を専攻した私は、いまいち文学を勉強する意義がつかみきれなくて、ここ2年くらいそのことについて考えていた。でもこの本を読んで少し答えの糸口が見えた気がした。日本生まれ日本育ちの私の想像を超えるような現実の中において、文学作品がどのような力を持ちうるのか、いかにフィクションは現実と結びつくのか、この本は丁寧な語り口で考えさせてくれる。最初の方にグレートギャッツビーを非倫理的だといって批難する生徒が出てくるんだけど、そんな視点考えた事もなかった。フィッツジェラルドの名作を西洋的デカダンス、金に目のくらんだ人々のお話、とする解釈はあまりにありえなくて、でもそういう解釈が実際にありえてしまう現実があると知って、文学作品を学ぶ事やその解釈について議論することの意義が少し見えた気がした。

 

 ティファニーで朝食を トルーマン・カポーティ

あーニューヨークーーーって感じ笑。映画が超有名なので名前自体は知ってる人がほとんどですよね。興味深かったのはエンディング。前に映画を見た時、最後の終わり方がなんか不自然だな、と思った覚えがあったんだけど、今回原作を読んだら映画と違うエンディングでした。ハリウッドが映画にするにあたってどういう作品に作り替えたかというのが見えて面白かったです。興味がある人はぜひ両者を比べてみてください。

この本も村上春樹の翻訳が出ているのですね。

 

以上、6月に読んだ良書たちでした。

インターンシップ活動 @ アメリカ

やっと、やっと、インターンシップを追い求める旅が終わった…長かった。太平洋の向こうで水素水がはやったり、ベッキーが早速復帰したりする中、私はひたすら期末試験と戦い、インターンに応募し、落とされ、また応募して、を繰り返していました。結論から言うと、3社とパートタイムでインターンすることになりました!そのうち2社はリモートワークなので、時間のマネジメントは出来るだろうと踏んだ上での決断です。というか、1社ずつだいぶ間隔が空いてオファーが来たので、オファーされた順に受けていったらこうなった、というほうが正しいかな。いやー、思っていたよりずっと厳しかったです。全部で27社に応募して、インタビューまで行ったのは7社。残りの20社は返事なしか、空きがありませんという返事が返ってきたかがほとんど。つまり書類落ちです。

 

私が本腰を入れてインターン応募を始めたのは3月上旬。遅いですね。だいたいの生徒は1月あたりから始めるんだけど、私は第一希望の会社が3月下旬にならないと応募受付を始めないのと、ざっとみて出版業界は4月締め切りのところが多いな、と思ったのもあって、のんびりしてました。そこから応募する会社のリストを作って、春休み中に履歴書とカバーレターを仕上げて、一週間で10社くらいに応募しました。大手のところばっかり。

 

まあこんだけ応募すりゃちょっとは返事も来るだろうと思って待つこと一週間。

 

二週間。

 

三週間。

 

四週間。さすがにこれはまずいと気がついた私は、4月上旬になって必死でリストに会社を増やして、鬼の形相でほぼ手当たり次第に応募しまくり始めます。でもやっぱり返事は来ず。この時点で一ヶ月くらいどこからも連絡が来てない…! 返事が来ても、もうポジションは埋まりました、とか、秋にまた応募してね、とか。もう寝ても覚めても気になるのはインターンのことばっかり。こんなんじゃ就職なんてもってのほか…お先真っ暗だ、卒業後は日本に強制送還か、と思った矢先、日本文化を主に扱う英文雑誌から連絡が来ました。スカイプ越しのインタビューで気に入ってもらえて口答でオファーが来たときは嬉しかった!

 

そこからも応募を続けることさらに一ヶ月、応募数を増やしたからかやっと少しずつインタビューへのお誘いがくるようになりました。ぜひ行きたいと思っていた第一志望の会社からも。でも緊張しすぎたせいか見事にインタビュー後に不合格の連絡が来て、あっけなく夢ついえる。しょんぼりしていたところ、オンラインでたまたま見つけて応募した教育系の出版会社から連絡が来て、インタビューして、とんとん拍子でオファーを頂きました。あともう1社は、ブックエージェントのアシスタントとして、ひたすら原稿を読んで、没か採用か検討かのレポートを書くもの。これはサンプルレポートを送って選抜してもらいました。

 

結果としてはやること盛りだくさんの夏になったのでよかったけれど、ここ何ヶ月かのインターン活動はけっこう辛かったです。自分で言うのも恥ずかしいけれど私はいわゆる挫折をしたことがない若者で、大学受験もその他もろもろも、苦労の末なんとかいい結果に終わることがほとんどでした。でも今回、大手から声がかかったのは1社のみ、それも不合格に終わって、その他多くの会社からは返事ももらえませんでした。

 

まあでも終わって考えてみると、基本的には経験不足がたたったところが大きかったんじゃないかと思います。出版社の編集で働くには、一番下っ端でも数年の経験が必要とされるので、まずは無給のインターンから始める人がほとんど。そのため無給のインターンでも、出版業界では大学院生や社会人の応募者がわんさか集まるので、大学三年生でほとんど経験がない私にはこの結果が妥当だったのかもしれないな、とも思います。現実を突きつけられたのはよかった。逆にオファーを頂いた会社には感謝、ご縁だと思って精一杯頑張ろうと思っています。

 

まー、あとは実力不足かな!ごちゃごちゃ言っても、当たり前だけど実力が一番大事ですよね。インタビュー失敗したのは痛かった。ちょっと泣きました。カバーレターも、これ以上は出来ないくらい推敲を重ねて応募したけど、もっと上手に書けたのかもしれない。年齢を言い訳にしても、いろいろやってる同級生はいるはずだしな。まだまだなんだなー。インターンシップくらいのレベルで失敗を経験できてよかったと思います。

 

自分がいかにもアジア人な名前&履歴書に載っている高校が日本のだから、言語を専門に取り扱う出版業界だと眉唾な感じでみられるのかな、って思ったりもしたけど、そしてそれが全く関係なかったかどうかは分からないけど、まあそんなこと考えてても名前を変えるわけにはいかないので、実力をつけるのみ、かな。

 

卒業後のことを真剣に考え始めるきっかけになって、就職活動へ向けてのよき練習になりました。せっかく好きなことばっかりが出来る環境を整えたので、夏は楽しく過ごしたいと思います。いってきます!

 

 

 

日本人ではなくアジア人であるところの私  

先日、キャンパス内で携帯を落としてしまった。あーあ、誰か拾ってくれてるといいな、と思ったら、たまたま友達といたところに大学のオフィスから彼の携帯に電話がかかってきて、「失くし物で届いた携帯にあなたからのメッセージが表示されているんだけど、心当たりはありますか?」とのこと。親切!彼がすぐに私のことだと気がついてくれて、電話を代わってくれた。電話の向こうのおばさまいわく、「んーと、待ち受け画面の表示は、中国語?みたいに見えるんだけど」とのことなので、「ああ、それは確実に私の電話です」と言って、後日受け取りに行きました。

 

いまいち関係ないような気もするんだけど、この出来事はアメリカに来るまでは考えたこともなかった人種というトピックを私に連想させた。ここにいてだんだん慣れてきたことなんだけど、私はアメリカでは日本人というよりアジア人だ。日本から来たことが関係ないわけじゃないんだけど、様々な人種が住むアメリカでは肌の色が最初に目に入ることで、だからやっぱり誰かと最初に話す時には、ああこの人はアジア人、黒人、白人みたいに見た目でざっくりと分けられてしまう。「見た目が9割」じゃないけど、人をある程度見た目で判断するのは当然のことなんじゃないかなと思うので、まあそんなもんだろうと思う。よくないのは見た目のみでしか内面を判断しないことで、それが差別にあたるんじゃないかと思う。

 

自分がアジア人、というのは、アメリカに来て最初の一年くらいはいまいちなじみがない感覚だった。第一私はアメリカで育ってないから、あなたはアジア人ですよ、とか言われてもピンとこない。下の画像のジョークも、面白いんだけどじゃあ自分がこういうアジア人のステレオタイプにすべて当てはまるかっていうとそうじゃないし、変な感じだった。

 (Finals Week: 期末試験期間 左から時計回りに: 教授、オタクたち、僕、そしてアジア人たち)

 

でも三年もいれば慣れてきて、数学が得意なアジア人、とか、時間に几帳面なアジア人、みたいなステレオタイプにもなじみが出てくる。「アジア人なのに成績やばいよ笑」みたいなジョークは典型的なやつ。個人を無視したステレオタイプを手に取って、笑いに変えるタイプのジョーク。

 

もちろん私はキャンパス内でほとんどの時間を過ごしているから、私が「アメリカ」という時には、ものすごい度量のバイアスがかかっている。人種なんてセンシティブな話をする時には、筆者のコンテクストをはっきりとさせる事が絶対だと思うので説明すると、アメリカのいわゆる「エリート」と呼ばれるような大学では新入生を選ぶ際に全体のバランスとか、多様性を非常に意識して生徒を選考する。だから私は誰かの手によって意識的に作り出された環境で日々を過ごしている。全米の人口においてアジア人は4%程を占めるのに対して、私の大学では15%がアジア人だ。このキャンパス内においては、14%いるヒスパニック人口よりも数が多く、白人の43%に次いでまさかの二番目に多いマイノリティ人種ということになる。だからだと思うけれど、私はこのキャンパスでアジア人だからといって引け目を感じたことや差別されたと感じたことは一度もない。キャンパスの外に出た時に、必ず「中国人?」と聞かれる時くらいにしか、ああ私はアジア人として他の人から見られているんだな、と意識することはない。だから上に書いた電話の内容がこのトピックを連想させたんだと思う。

 

キャンパスを一歩出ると環境は全く違って、最近ではアカデミー賞授賞式のホストによる人種をネタにしたジョークが大変な物議をかもした。リンク先はニューヨークタイムズの記事。

http://www.nytimes.com/2016/03/01/movies/chris-rocks-asian-joke-at-oscars-provokes-backlash.html

これは上に書いたような、「アジア人は数学が得意で几帳面」というステレオタイプを子どもに背負わせて、舞台上で笑い者にした出来事だった。三人のアジア人の子どもにスーツを着せ、ブリーフケースを持たせて、司会者のクリス・ロックは彼らを「アカデミー賞の投票の結果は彼ら、非常に優秀な会計士たちが計算します」といって紹介し、最後に「もしも誰かがこのジョークで気を悪くしたなら、彼らが作ったiPhoneでそのことをツイートしてね」というオチをつけた。司会者の黒人に対する人種差別をネタにしたジョークは絶賛されたのに対し、いや、他のジョークがよく出来ていたからこそ、彼のこのジョークは多くの人を残念がらせ、怒らせ、特にアジア人だからといってもらう役どころで日々差別を受けているハリウッドの役者たちから多くの反応を呼んだ。

 

アジア人として、私はこのジョークがニュースになった時に正直どう反応していいのか分からなかった。ステレオタイプを、ただのステレオタイプだよね、として扱うのではなく、最後まで押し切ったことには違和感があった、と思う。子どもをステレオタイプの担い手にして、ジョークのオチにした、そこは間違っていたと思う。彼らは一言もセリフがなかった。大人だったら、人種差別的なジョークのネタにされたあげく、口を開くことが許されない状況は明らかに人々の目にとっておかしく写ったと思う。このジョーク、司会者の意図としては、ステレオタイプをぎりぎりまで押すことで、見ている人にとって非常に居心地の悪い状況を作り出し、あなたは人種差別を無意識に受け入れているんじゃありませんか?って指摘したつもりだったんだろうけど、結果的にそういうステレオタイプに完全に乗っかっただけの形になってしまった。

 

とてもセンシティブな話題なので、正直どこまで何を言っていいのか迷っている。逆に言えば、今ここでこの話題を書くのに躊躇するということ、また、どう反応したらいいか分からなかった、ということが、私がどれだけこの問題にうとく、現実の認識が甘く、自分の意見をきちんと持っていないかを示しているとも思う。でも私の考えを正直に書くことこそがブログの意義だと思うのでとにかく書けるだけ書いた。無事にここで就職できたとして、ビザを手に入れられたとして、きっとこの問題はこれからもずっと考え続けることなので。