読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

やねうらストーリー

アメリカ留学中の女子大生の、頭の屋根裏にあるこぼれ話

母と娘の関係について

ほぼ日の山田ズーニーさんの連載を最近読み始めたのですが、今回のLesson 822は母娘の関係についてでした。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

娘を自分のアバターにしてしまう母、それを受け入れてアバターになってしまう娘、そんな人が最近気になること、それを防いだり治したりするにはどうしたらいいか、というお話です。

 

日本社会における母と娘の関係は私も気になるところです。大学生になって、母と私の関係にはもしかしてひずみがあるかもしれない、と考えてからは、母娘の関係を扱ったコミックエッセイやブログ記事を読んだり、母への接し方を変えてみたりしました。ケイクスで連載している田房永子さんの「お母さんみたいにはなりたくないのに」を読んで「毒親」という言葉を知ってからは、自分はどうなんだろう、私はいつか母になれるんだろうか、と考えています。

cakes.mu

 

バズフィードによる母娘関係を扱った本のまとめ

www.buzzfeed.com

 

最近両親に私の卒業後の進路を伝えたところ、「やりたいようにやりなさい」と言われて、その時はああよかった、と思ったのですが、それ以来ちょくちょく母に「あなたには何にもできないのに大丈夫なの?」「プログラミングができないのにいっしょに働く人に迷惑」「そんな収入が不安定なことして、もう成人する娘にお金を使いたくない」と心配を装った文句を言われて、電話するたびにちょっとへこみます。

 

私は大学に入学するまで親の思い通りの道を進んできたので気がつかなかったのですが、親の思う通りのことをしないと価値のない人間のように扱われてしまう、と気づいた時はちょっとショックでした。我が家はブランドをどうも気にするようで、日本の国立大を辞めてアメリカの小さな大学に来てからは、母の私に対する態度がまったく変わってしまいました。前は「勉強も部活も何でも出来てすごいねー」と褒めてばっかりだったのが、今は「あなたには何にもできないけど、自分に出来る事を頑張ろうね」というトーンに変わりました。私はコンサルや金融に興味がなかっただけなのに「あなたにはそういうバリバリ働く場所は合ってないよね」となぐさめられたときは、「...」となりました。自分で考えて進みたい道を決めただけなのに。大学のブランド名やインターンシップの会社名で私の価値や能力を判断されていると気づき、ああ、親でもそんなもんだな、とちょっとびっくりすると同時に、悲しくなりました。

 

親子でも、他人は他人。このことは、最近いきなり頻繁に「誰がお金を払っていると思っているの」と言われるようになってからもよく分かりました。これまで気づいていなかったということが、それこそ私が甘やかされて育ってきたということなのかもしれないのですが、「両親にとって自分はもしかしてブランドバッグのようなもので、お金をつぎこめばつぎこむほど自慢しがいのある存在だったのか」と気づいたときはけっこうやるせない気持ちになりました。学校名も就職先のブランドもなくなった私は、いくら馬鹿にしてもいいかのような扱いをされて、ちょっと辛いです。正直、人間として他の人にしてはいけないことではないか、と思う事もあります。私個人に限らず社会に範囲を広げて考えると、親子だからこそ、その境界線を軽々と越えてしまう人が続出するのではないでしょうか。もしくは他人にしてはいけないことがある、ということを理解しないまま、他人(子ども)の命を生み出してしまう人が多いのか。でもやっぱり親子だからこそ言えることもあったりして、すごく難しいなと思います。

 

私は子どもがいないので分からないのですが、自分にもし子どもができた時にこういう風に重圧をかけてしまいたくないので、今のところ子どもは欲しくないと考えています。十分な経済力と時間を手に入れて、なおかつ他人の命を預かるだけの責任感を請け負えるという自信がついてから決めたいな、と。もしその時に私の体が歳をとりすぎていて、自分の子どもを産む選択肢がなくなっていたとしても、後悔はしない、と思います。

 

親でも他人。見えている世界も入ってくる情報も全くちがうから、なにもかも親の意見を聞く必要はないし、完全に間違っていることもある、ということに気づくのに時間がかかりました。子どもの立場ではありますが、親だからと大目に見たり、自分が間違っているんだと思い込んだりせず、おかしいと思った言動はおかしいと認識するようにつとめています。やっぱり学生の今は学費を出してもらっているし、面倒な関係になるのもいやなので口に出しては言えないのですが、それでも自分の中で「私がおかしいんじゃない、私には自分の考えがある」と認識できるだけで、だいぶ辛さが違うように思います。

 

他人だから、と割り切っても、やっぱり親なので、月に一回くらいはへこみます。とにかく早く経済的に自立したい。とにかく早くアメリカに残る手だてをみつけたい。

 

考察をするとみせかけて愚痴になってしまいました。でも書いて公開してちょっとすっきりしたのでよかったです。ブログがあってよかった。

変わらないといけない

 ついに四年生の春学期。そろそろ卒業が近づいてきました。

 

前の記事で、「就職したくない」と書きましたが、少し進展がありまして、起業することにしました。

annica.hatenablog.com

 

起業といっても、いきなり会社を設立するのではなく、シリコンバレーでいういわゆるスタートアップを始めるので、プロセスとしてはとにかくプロジェクトをやってみて、ユーザーを増やして、軌道に乗りそうだったら会社設立、うまくいかなかったら方針転換してまた違うプロジェクトで試す、という試行錯誤のスタイルです。リーンスタートアップ、ともいわれるモデルです。プログラミングができる親友にさそわれて、彼が実際のコードを書き、私が宣伝やビジネスの管理、二人で話し合いしながら方針を決めつつ進める、という形でやっています。一ヶ月前に1つ目のプロジェクトを始め、それが失敗したので、今はその反省をふまえて2つ目の企画中です。一年後くらいには何かを形にしたい。

 

でも今回の記事ではプロジェクト自体の話ではなく、起業するにあたって、分かったこと、考えた事があったので、書き記しておこうと思います。

 

まず、大前提として、私は、大学四年生までぐずぐずと何にも将来について考えないできたということが今回よーく分かりました。もちろん夏にはインターンシップをやってみたり、出版業界で働きたいと思ってみたり、ちょっとはしたのですが、それも所々で必要に迫られて考えるのみで、本当に自分が何かをするんだという実感があったわけではなかった。その結果今回のプロジェクトも割とぐずぐずとして、やるといったのに、上手くいかないとやっぱり仕事を探した方がいいんじゃないかとか思ってしまって、決心が弱くて。

 

それでどうしてそうなのか考えてみたところ、おそらく、理由は二つあるんじゃないかと思いました。

  1. 何をやっていても、「で、だから何?」と思ってしまう。人生の目的意識が見いだせない。
  2. 何をやっていても、「やりたいからやっている」ではなくて、「やりたいと思わないといけないからやっている」感じがする

 

二つは密接に関係していると思うんですけど、一つずつ分けて考えたいと思います。まず一つ目からですが、これは「達成したい目的がない」みたいな話じゃなくて、「人生そのものに意味があるのか」という問いで、ここ半年くらいずっと悩んできた事です。人生の意味がわからない。何もかもの意味が分からない。なんと言うかぐるぐるとした問いで、何のためにやっているのか分からないけど、とにかく目の前に学校の課題やら就職の準備やらやらなくちゃいけないことがあるからやる、そうするとこれが生きる意味、みたいな気はする、でもそんなわけないだろうという気もする、結局何のためにやっているのかは分からないまま時がたつ。

 

「人間の人生に意味はあるのか」「私の人生に大きな使命みたいなものはあるのか」これは昔から人類が考えてきたことだと思います。私も、ちっぽけな女子大生だけど、そういうことを考えて、で、考えても考えても、答えが出なくて、もしかして人生に意味なんてないんじゃないかな、って考えるようになりました。もう何百万年も人類存在してるんだし、こんなに根本的な問いで、古今東西の先人が考えても「これだ!」という答えが存在しないからには、もうこれは人生に意味なんてない、もしくは意味はあっても人間の脳では答えにたどり着くことができないんじゃないか、と。宗教はそういう根本的な問いに対して、「それはね、こういうことですよ、そう神が言ってますよ」みたいな答えを与えてくれるもので、だからこそこんなに世界中にいろんな宗教が存在し、それを信じる人がいるんじゃないか、と考えています。

 

でも私は特定の宗教を現時点では信じていません。大事な問いだから、間違っていてもとにかく自分で答えを出したい、と思ったからです。でも悩んだあげく、このままじゃどうしても先に進まないので、結局は全て無意味なんだと仮定することにしました。こう割り切ってしまうと、死ぬのは痛いからとりあえず生きておいて、生きている間は出来るだけ楽しめればいいな、という方針が立ちました。ここまでくるのにすごく時間がかかった。

 

じゃあ、出来るだけ楽しむとして、何を具体的にするのか。なにしたらいいのか。ここで、上にあげた二つ目のポイントが出てくるんですけど、これまでを振り返ってみて、すごくやりたいからやった、必死にとりくんだ、みたいなことが一つも思い出せなかったんです。今やっていることを考えてみても、なんだか、「すごくやりたいからやった」というよりは、「やりたいと思わないといけないからやった」「なんかやってみた方がいいかなーというノリでやった」みたいなことばっかりでした。正直、文学専攻も、すごく興味があって決めたわけじゃなくて、他にこれ以上興味があることもないし、小さい頃から本読むの好きだったし、くらいの気持ちで、大学生になった今は大して本も読まないくせに専攻を決めました。だから未だに、専攻を決めて2年もたつのに、「文学について学ぶ意味はなんだろう」とかずっと考えていて。自分が何を得たくて文学を学んでいるのかいまいちよくわからないんです。いや、確かに人生の何もかもが無意味と仮定はしたんですけど、でも自分がとりあえず生きていく上での目標みたいなものや、自分なりの世界の成り立ちの理解は構築したくて、そのなかで自分のやっていることに意味はあってほしくて。でも根本的にやりたいことがないから、それもないままだらだらと授業をとって、課題をこなしながら大学四年生になってしまった。

 

唯一、アメリカに学部留学したいという決断は、ものすごく行きたいと思って決めました。でも今振り返ってみると、アメリカで何かをしたいというよりは、このまま日本にいてはいけない、という猛烈な危機感からした決断で、行けば何か変わるだろう、と期待して来てみた結果、私は何もまだ変わっていない。趣味もないしはっきりした興味もない。

 

小さい頃から、私は優等生でした。試しに受けてみた日能研の実力テストで成績がよかったからとんとんと中学受験して、進学校に入って、成績も割といい方を維持して、国立大に合格して半年だけ通って、そこから留学。もっと小さい時は本を読むのが大好きだったんですけど、受験が忙しくなるなかでその習慣も消えていきました。そのおかげで与えられた課題をこなすのがすごく得意になった。期末テストも課外活動も、与えられた課題をそつなくこなし、他人にすごーいと言われるまでが全てだったから、正解のある課題にしか取り組めなくなって、次第に自分の振る舞い方や考え方までも課題として捉えていたんだな、って今週くらいにやっと、やっと気づきました。むしろ、自分のやりたいようにすることや、素直に何かを好きだとか嫌だと感じることに罪悪感さえ抱くようになっていました。

 

そしてここになって、将来を課題として捉え始めたところで、先に進まなくなりました。この課題はさすがに自分の意思をもって決めたいと思ったからです。就職先を他人の目線ありきで決めたらアンハッピーだろうなくらいのことは分かったので、コンサルとか銀行には行きたくない、でもかといってこれまで自分の意思で何かをやった経験が少な過ぎるのでやりたいことがない、出版にいきたいのかどうかも分からない、とにかくリクルートスーツは着たくない、のわがままばかりで、一歩も前に進めない状態がしばらく続いていました。自分のスキル一本で食べていける仕事に魅力を感じているのは分かっていたんですけど、具体的になんなのかも分かっていませんでした。

 

だからがっちりと就職をせずにとにかく何か仕事を見つけて、何年か自分のやりたいことを考えよう、みたいに思ってたんですけど、ビザ的にそれは難しいことが分かって、それでも日本には帰りたくない。もうむちゃくちゃでした。考え方が甘くて。

 

そこでもって友人にスタートアップをやろう、と言われたから、よしやろうかな、くらいの気持ちでうんと言ったんです。覚悟が甘かった。一ヶ月目が終わって、友人には「僕は共同経営者が欲しかったんであって、社員を雇ったわけじゃない。社員になるつもりなら抜けてくれ」と言われて、がーんってなりました。スタートアップも、まあ自分でやりたいと思ったわけじゃないし、面白いプロジェクトだとは思うけど、とにかく必要そうなことをやって、自分のやりたいことが分かるまで時間をすごそう、みたいな心持ちだったことに気づかされました。だから仕事への取り組み方もなあなあだった。友人にもプロジェクトにもすごく失礼な態度でした。

 

一番の問題点は、私にとってやりたいことがなかったことです。人に課題を与えられることに慣れすぎて、自らの意思に従って課題を設定し、計画をたて実行する力が全くないままここまできてしまった。だから何もかも「まあやっとくか」みたいな態度になってしまう。

 

そのことが分かった今、必死に、やりたいことを考えています。これまでやってみて、面白いな、と思った事はなんだろう?どうして?って。今更だけど。すっごく情けない。でもやっぱりちょっとくらいはやってみたいこととか、嫌だから避けたいと思う事があるのが救いです。無意味なりに楽しいなー、と納得のいく人生を送りたかったら、今頑張らなくちゃいけない。と思って、考えています。

米国留学生からみた大統領選挙

誰もが予期しなかった選挙から数日がたち、少しずつ生活も落ち着いてきて、トランプ氏が次期大統領になるということが現実味を帯び始めてきたので、考えている事を書こうと思います。

 

火曜日の夜はショックすぎて何がどうなっているんだ、という感じだったのですが、数日たった今、とにかく現実を解釈して、次どうするかを考えなくてはいけない、と思っています。

 

今回の選挙結果を受けてひしひしと感じたのは、まず、自分はよそ者なのだ、という事です。この三年間、すごくリベラルなキャンパスにいたこともあって、何となく自分は歓迎されているような、留学生ではあるけれど、アメリカという国の一員であるかのような、そんな気がしていました。実際にこのキャンパスでは多様性を非常に重視しているので、この三年間はとても居心地がよかったです。だからこそ、将来はアメリカで就職したい、ビザをとるのが厳しくても、なんて思っていたのです。

 

でもトランプ氏が選挙に勝ったのを見て、自分の見ていたアメリカがいかに狭かったかを思い知りました。私にとってアメリカは、東海岸のリベラルアーツカレッジのキャンパスのみだった、というのが嫌という程分かりました。実際、私はトランプ支持者を一人も知らなかったし、周りの人たちはだいたいが予備選ではサンダース氏、本戦ではクリントン氏を熱心に支持していました。フェイスブックやツイッターでトランプ支持者の書き込みを見ても、何だこの人たちは、何考えてるのかさっぱり分からん、といった感じで、彼らの住んでいるアメリカは本当に別世界のようでした。

 

大手メディアも、私の見ていた狭い世界の一部だったということが分かりました。私は毎日ニューヨークタイムズをチェックしていたのですが、11月7日、クリントン氏の勝率は84%になっていました。その日の朝刊を読むと、クリントン氏に関する記事は楽観的で、まるで勝利は当然かのように書いてあるのに対し、トランプ氏に焦点をあてた記事は一人寂しく、見込みのない戦いで消えてゆく敗者の最後の一日、といった雰囲気で書いてありました。それはもう当然クリントン氏が勝つに違いない、と思っていたのですが、8日の夜、勝率のグラフがどんどん様変わりしていくのをみて、世界がめちゃくちゃになっていくような感じがしました。

 

 

私が日本人なのにまるで自分のことのように選挙結果にショックを受けているのは、実際にこの選挙は自分のことだからです。トランプ氏は移民に対して怒りの矛先を向けて、メキシコ移民やムスリム教徒を追い出すことを公約(というか、口約束?)にして選挙に勝ちました。実際に私が欲しいと思っていた就労ビザや、グリーンカードのシステムも変える、と言っています。私が住みたいと思っていた国は、実は移民が歓迎されない国だった。彼が選挙に勝った事で、マイノリティに対して暴言を吐くことや、出身国と肌の色を理由に差別をすることが問題ではないかのような風潮ができてしまった。

 

今、トランプ支持者の人たちの書いた記事を出来るだけ読んで、彼らが何を思っているのか、知ろうとしています。よく見かけるのは、「私はトランプに票をいれたが、だからといって私が人種差別主義者なわけではないし、外国人が嫌いなわけではないし、女性の権利がどうなったっていいと思っている訳ではない。トランプ支持者だからといってラベルを貼らないでほしい。」というものです。でも私はその論理の理解に苦しみます。だって、彼は「メキシコ人の血が入っているから裁判で公正な判断が下せない」とか「カーン夫妻の妻はムスリム教徒だから発言する事を許されなかった」とか「スターだったら女になんだってできる」とか言ったのに。そんな人を大統領にするということは、そういうことを言ったりやったりしてもたいした問題はない、と考えているということと一緒なのでは?またよく見かけるのは、「彼は選挙中だったから勝つために適当なことを言ったけれど、実際に大統領になったらきちんと働いて、貿易や外交や税制を改革して私たちのために働いてくれる」という、彼の言葉と行動を自分に都合良く切り離す主張です。でもこれも論理的におかしいと思います。そもそも適当なことを言う候補だと思っているなら、何を信じて票を入れたんでしょうか?むしろ何もかもが適当なんだ、貿易も外交も、と思う方が妥当じゃありませんか?論理で説明できない票なら、いったいなぜ人はトランプ氏に投票したのか。

 

ここ数日で、なぜ彼が勝ったのかを分析したいろんな記事を読みました。エスタブリッシュメントにファック・ユーというためにトランプに票を入れた人が多かった、という分析や、何かしらの変化が欲しかった、という分析や、黒人の大統領への巻き返しだった、とか。色んな理由がからみあった勝利だったと思います。私としてはこの記事の分析が一番腑に落ちました。

 

jp.wsj.com

 

いったん政治や経済のコンテクストを越えて話を広げるとすれば、私が今回の選挙で学んだのは、結局のところ、人は他人でも国全体でも論理でもなく、自分にとって何が大事かを考えて票を入れるんだな、ということだと思います。政治や経済のプロではないので、本当に素人の未熟な考えになってしまいますが。

 

確かに、私が白人で富裕層だったら、アメリカに都合のよい政策を実行してほしいだろうし、その引き換えにマイノリティが多少差別されたって、自分が困る事は特にない、と本音では思うかもしれない。白人ばかりのコミュニティで育って、そんな中で移民が引っ越してきていい仕事につくのを見たら、追い出せと言いたくなるかもしれない。「女性だけどトランプに投票した」という人は、もし彼が大統領になって、例えば中絶を違法にしても、自分はそんなに迷惑を被らないと思ったんだろうと思います。それよりも私にとって大事なのは、経済の立て直しだ、と思ったのかもしれない。私がこんなにトランプ氏の勝利でショックを受けたのは、もちろん自分の現実認識が覆されたからというのもありますが、彼の言動が私個人にとてつもない被害をもたらすからというところも大きいです。でも私にとって大事だったことは、他の人にとっては必ずしもそんなに大事じゃなかった。私がアメリカのコアだと思っていたこと – 移民の国、多様性を重視し、誰でも夢を追いかける事が出来る自由の国 − は実際はアメリカ全体にとって一番大事なことではなかった。当然のように、アメリカは、日々生活し、不況に悩まされ、犯罪をニュースで目にし、家計簿をやりくりするので精一杯な人々が暮らす普通の国だった。理想ではなく、現実にもとづいて、人々は票を入れた。それがクリントン氏であれ、トランプ氏であれ。そんな当たり前のことを民主党と共和党の両方が見落としたことが今回のサプライズ選挙につながったのではないでしょうか。

 

アメリカを離れて考えてみれば、イギリスのBrexitやフランスでの極右政党の台頭など、世界的に反グローバリズムの波がやってきているような気がします。人がまず自分の利益不利益を重視するのなら(それは当然だと思います)、グローバリズムは多くの人々の利益を置き去りにしてきたのかもしれない。今、その不満の声が噴出しているのかもしれません。

 

多様性を重視しようという考え方は、昔から人間社会に当然のようにあった考え方ではなく、グローバリズムの波に合わせて出てきた時代特有の考え方だった、ということがここ数日でやっと見えてきました。アメリカで大学教育を受けたので、多様性の重視は当然のことかのように考えていましたが、そうじゃないですよね。就職の記事にも書きましたが、中世ヨーロッパの騎士が多様性を重視しよう、なんて言っていたとは思えないですよね。

 

もしもグローバリズムに逆流するような政治が主流になったとしたら、多様性を重視する風潮も消えてゆくのかもしれない。政策も、経済も、貿易も、自国優先が正義になるかもしれない。トランプ氏の勝利はその一部だった、そんな気がします。もし世界全体がそういう方向に向かっているとするならば、自分の利益を優先する個人として、私はどこの国で、何をすればいいんだろう。選挙の結果が出た今、これまでになかった危機感を持ってこれからの日々を過ごす事になると思います。

アメリカの大統領選をうけて

大統領選が終わりました。結果が出る数時間前までは絶対にヒラリーだろうと安心して図書館で勉強していたのですが、投票結果が出るたび、フロリダの色が変わるたび、心配がどんどん募り、結局ぎりぎりまで画面にかじりついていたので、寝たのは2時過ぎでした。夜中、トランプが大統領になった、という悪夢をみて目が覚めて、朝起きたら現実になっていました。今日のキャンパスはお通夜のように静かです。私はアメリカの何を見ていたんだろう。トランプは、移民を減らすにあたって、就労ビザとグリーンカードを廃止したいそうです。一年先の未来が全く見えなくなってしまいました。以下、英語ブログに書いた記事ですが、どうせならこちらにも貼っておこうと思いました。もうちょっと冷静に考えられるようになったら、日本語で書こうと思います。

 

I’m stunned, I don’t know where to begin. It’s a sinking feeling – so many things are running through my mind and heart right now, and I hope, I just hope that writing about it will help me process what is going on and move forward.

 

First off, I now know that the America I knew was only a fraction of America. Not just the campus of a liberal arts college, the media as well. All I thought was America was apparently an elite crust that many others resented and wanted to destroy. It seemed that I lived in a happy echo chamber consisting of people who are at least willing to understand other people’s positions through rational discourse, or who, after years of hurt, had the courage to stand up and fight for their rights. A group, albeit diverse in background, consisting of people who are well-educated. All I knew of America was of people who at least could see through the consequences of a political vote. And that was the America I liked, that was the America I wanted a place in. Today I know that I am not welcomed by the majority of Americans. I am reminded that I am a mere visitor, that I came here to study abroad, that as an Asian person I am not welcomed in a country created by white people. They elected a president who wants to halt immigration and discriminate based on a person’s color of skin or religious beliefs.

 

I now see that America really is a project; that it began as a huge social experiment that has been created by the hands of those participating in it. Human rights are something to be fought for, not granted. I never, I think, knew that. Seeing an entire people lose a fight in front of my eyes was enough to understand that not everything is given. Progress is not natural; it is truly a human made concept, built through hundreds of years of experience and blood shedding. Yesterday, half the American population wanted a world that they lived in the past, or at least, something different from what they saw as progress that left them behind. How else can I make sense of the election where people voted against gay marriage, gender equality, women’s rights, racial justice, environmental change, and so much more? What are America’s values, I wonder – where were the core principles that all the politicians said Trump sabotaged? Did it even exist in the first place if half the people voted against it? I am so confused about this country right now. If about half the people wanted a country that is made up of white people and consumes only things made in the United States, well, sure – but that certainly goes against everything that the world thought the United States was about. We all thought America was about progress, about pursuing justice and freedom. Freedom; freedom only for a select few that looks and thinks in a similar manner to the president?

 

In a climate where immigrants are not wanted, I am not wanted. I see that now. I am disappointed in this country. I need to see what Trump actually does as president, if he really can destroy 240 years worth of history. But if he does, if he does want to destroy everything, I don’t have a place here. Heck, I don’t even get to participate. I’m a visitor with a student visa.

 

Until now, I took my place in the United States as granted. Yes, I am an international student, but I’m a college student – I wanted to stay here after graduation, and was hopeful that eventually I will get a work visa, and then a green card. I thought, foolishly, that America would welcome me with open hands as a country founded by immigrants. No, no, no. I was just starting to understand the racial divide in this country and the meaning of the color of my skin when Donald Trump was elected president. I didn’t see my place. I now feel thankful, even nostalgic, for the America that showed me for three years an illusion of an inclusive, welcoming, free country.

 

So what do I do now? Now that international politics is involved, this is no longer a question of principles for me. This is a matter of safety. As much as I like America, what it showed me last night was not the America I thought I lived in. I don’t know if I want to stay here anymore. Thankfully, I have a choice. This is an immense privilege, something that those who were born here and have a home here don’t have. I need to make my choice wisely.

 

And if I do choose to stay here, if I want a place here as my own, I now know that I need to do my fair share as a member of this boat. I need to be fighting for my rights, and I need to understand the consequences of each fight. Not just in the United States, though – after last night, I know what democracy looks like at its raw core. I need to recognize that the world is in our hands, in my two small hands, along with many others’ with various shapes and color. This is our world, and we will live here as long as we can fight for ourselves.

大学4年生だけど就職したくない

 突然ですが、就職したくない!!!

 

「したくない」だとかなりわがままな感じだけど、より正確に言えば、「なぜ就職しなければいけないのか」が分からないから、と言うのが本音です。

 

「就職する」という言葉だけなら分かる。けれど、現在の日本社会で「就職する」という言葉には、「大学を卒業する前から企業を探し、企業のしている事業と自分の価値観を擦り合わせ、念入りな準備を何ヶ月もして、採用プロセスを経て企業の一員となる」というところまでが含まれた概念になっているようです。

 

そもそも、なぜ大学を卒業したら仕事につかなければいけないのか。多くの場合、就職はレールの上の次のストップの1つになっているような気がします。高校を卒業したら大学に入る。大学に入ったらサークルに入る。大学を卒業したら就職する。レールが敷かれているのがダメだとは思いません。レールがあれば、多くの人の人生が上手に統制され、社会も安定するように思います。でも、そもそもそのレールが想像上のものならば、レールの上を走るのも、レールを外れるのも自由なんじゃないか。なぜレールの上で走り続けなければいけないのか。と、大学に進学する時点で少しだけレールを外れた私は思うのです。

 

また、就職サイトのあちこちで見受ける、「世界を変える」「社会をよくする」という言葉。社会をよくする…私にはどうもふわふわしていて、よく分かりません。

 

そもそも、社会のためにという考え方が、非常に現代に限られた考え方ではないかと思います。留学してみて、ある文化で絶対とされている価値観が他の国では存在すらしない、という事実を目の当たりにしました。「常識」「こうあるべき」みたいな考え方は非常にうさんくさいです。歴史の授業をとってみて痛感したけれど、国や文化だけでなく、時代にとっての常識も、100年程さかのぼってみれば簡単に崩れ落ちます。例をあげてみれば、奴隷制度は長らく当然のように存在していました。アリストテレスは奴隷制度を当然のこと、と書きましたが、今では公でそんなこと言うのはありえません。同じように、例えば中世ヨーロッパの騎士とかが「社会のために働く」なんて言っていたとは、どうしたって思えません。それならば何のために働くのか。なぜ働くのに「社会のために」という大義名分が必要なのか。なぜ働く=企業の一員になる、なのか。時代が変われば人の考え方が変わるのは当たり前です。常識が国によって違うのも、当然のことだと思います。でも、私はそれに縛られたくない。

 

私は、社会よりも自分のことを優先したい。どうせ死ぬんだから。なにやったって、どんなに批判されたって、どうせあと60年くらいしたら死にます。心から信じられるプリンシプルのような何かがほしくて、ゆるがない真実はなんなのか、そもそもそんなものはあるのか、をずっと考えてきました。まだ答えはないけれど、前よりは考えがクリアになってきた、と思います。1つ分かるのは、社会の常識のようなもろいものをプリンシプルにはしたくないということ。突き詰めて考えた時に自分が信じられるものを最優先して人生を生きたい。

 

当然、こういう私の考え方も時代に規定されているのだろうとは思います。1990年代の日本で生まれたからこそ、大学時代に留学ができた。多少は自由がきくような風潮の中でこれまで過ごしてきたからこそ、私は自分を優先したい、なんて考えが思い浮かぶような22歳になったんだろうと思います。周囲に影響された部分も多分にあるので、これも時代の風潮なのかもしれません。それでも。時代を越えて受け継がれてきた本を読み、人間とは何かを問い、変わらない真実はなんなのか、を考えることでここまでたどりついたからには、同じように考えた人が、きっと、何百年も昔にもいたんじゃないだろうか。少しは、普遍的ななにかに近づいているんじゃなかろうか。というか、私が当然だと思う事が他の国や時代では当然じゃないのでは??って、ちょっと考えればすぐ分かることのような気がします。

 

仕事がしたくないわけではなくて、むしろ、仕事はしたいです。職業につきたいとは思います。願わくば、何かのプロになりたい。留学する時の目標は、自分の二本足で立って、自分の頭で考えられる人になることでした。大学を卒業したら、これに、自分の力でお金を稼ぐ、を付け加えたいと思います。胸をはって、私はこういうことができます、と言えるようなスキルを身につけたい。そして、すこしでも何かの価値を生み出せるような人になりたい。できれば、何百年も昔からすでにあったような、人間にとって根本的な部分で変わらないような職業を選びたいと思っています。

 

そのためには、まだ学ぶべき事が山積みで、まだ仕事をしたいという気にはなれません。考え方も弱いし、知らないことが多すぎる。卒業したら、とりあえずは適当な仕事を見つけて、生活できる程度のお金を稼ぎながら、自分のために時間を使いたいです。ゆくゆくは自由が欲しいです。しばらくの間はきついかもしれませんが(しばらくじゃなくてずっとの可能性もあり)自分で決めた事なら本望だと思います。

 

というわけで、就職したくない!!!けっこう暴論になった部分もあったかと思いますが、卒業がせまる今、こんなことを考えています。私個人の経験にもとづいて考えているので、だいぶ視野も狭いと思います。結局は現実に負けちゃうかもしれないし。でもだからこそまだ学ぶことがたくさんある…と思っています。

パトリック・モディアノの「Suspended Sentences」を読んだ

 

今年のノーベル文学賞が発表されたということで、ノーベル賞つながりの読書ポスト。

 

パトリック・モディアノはフランスの作家で、2014年のノーベル文学賞受賞者です。お父様がユダヤ系イタリア人だったということで、ナチス・ドイツ占領下のパリを舞台にした作品が多く、曖昧な記憶や消失した人々、若さやアイデンティティ等をテーマにした作風で知られている。

 

私が今回読んだのは、彼の中編を三つ集めた英語の本。それぞれのストーリーは互いにつながっていないんだけど、テーマ的なつながりが深いということでつなぎ合わせて一冊の本にしたそうです。

 

確かにどの中編も遠い昔の記憶、変わってしまったパリ、現れては消えてゆく人々、などをテーマにしていて、共通してノスタルジックな雰囲気が流れていました。文章も当然ながら美しい。ノーベル賞の受賞理由として、スウェーデン・アカデミーは「最も捉えがたい人間の宿命を想起させるとともに、占領下の世界を浮き彫りにした記憶の芸術」と発表したけれど、「記憶の芸術」という言葉はこのノスタルジックな雰囲気にぴったりだと思う。ノスタルジックといっても、セピア色の写真みたいな感じじゃなくて、失われてしまった何かを悼むような悲しさがある。

 

フランス文化に興味があって、大学でフランス語を三年間も勉強した私にとっては、ぐっとくる作品でした。日本語訳された作品もいくつかあるみたいなので、美しい文章や、パリに憧れがある人、記憶がテーマの作品に興味がある人は、ぜひ。

 

6月に読んだ7冊の良書 - キャッチ-22, ティファニーで朝食を、他

夏が始まって1ヶ月がたった!

 

3つやっているインターンはどれも順調で、日々出版業界について学んでいます。そのうちの一つ、ブックスカウトのアシスタントとして原稿を読むものに関しては、22冊の未販売の本の原稿を読んでレポートを書きました。げーってなるレベルのもあれば、なかなかホットな原稿もたまにはあって、有名な作家のに至っては未出版の本なのにWikipediaのページがあったりしました。出版は死ぬとか死なないとか、もう本を読む人はいないとかいや私は読むよとか、いろいろ意見があるけれど、実際に業界に足をふみ入れる前にお試し期間として経験をつむことが出来ているのはラッキーだなと思う。と同時に、自分が本当にこの業界で働きたいのか、そもそも本とは、文化とは何なのか、を慎重に考えている。

 

本題!自由な時間が増えたので、沢山本を読んでいます。上に書いたインターンの原稿を読むのにけっこう時間がかかる(週4日、朝一で原稿が送られてきて、24時間以内に100ページ読んで4ページのレポートを書く)ので自分の好きな本は思うように読めないのが現状だけど、それでも毎日少しづつ読んでます。日本語に翻訳されてない本もあるけど、せっかくなので紹介しようと思います。

 

 The Artful Edit by Susan Bell

ノンフィクション。長年編集者として働いてきた著者が、ライターに向けて推敲の仕方を説明する本。原稿に手を入れるをいう行為は文章を書く上では基本中の基本だけど、多くのライターが書く部分のみに注目してしまう、というところから始まって、ライターが自分で推敲・編集作業が出来るようにこの本では解説するよ!という趣旨。推敲をマクロとミクロレベルに分け、それぞれをさらにいくつかの視点に分けて、分かりやすい例えや興味深い文学エピソードを交えて書いている、秀逸な本。特にフィッツジェラルドがどうやってグレート・ギャッツビーを推敲したかを彼と編集者の手紙からひもといた部分が面白かった。推敲に主眼を置いた本だけど、推敲って文章の構成とか意味とかを理解するところから始まるので、書くことについても学べる。すっごくいい本だったので、私はちょいちょい読み直したいなーと思った。

 

オセロ&ハムレット シェイクスピア

お恥ずかしながらこの2作品をしっかりと読んだことがなかったので...さすがにこの夏は読もうと思って英語で読みました。特に私がつけたす事もないと思うけど、ちょっとだけ感想を言うとすれば、17世紀に書かれた作品に引き込まれることに改めて物語の強さを感じた。よい物語は、耐久性がある。

 

 キャッチ=22 ジョーゼフ・ヘラー

面白かった。読みながら何度も声を上げて笑った。ものすごく不条理な現実を描くのに、絶望的なトーンではなく、強烈なブラック・ユーモアという手法を選んだ現代の傑作。物語に入り込むまでに少し時間がかかったけど、軌道にのってくると止まらなくなる。ハヤカワがつい最近新刊を出したみたいなので、読もうと思っていた人はこの機会にぜひ。

 

フラニーとズーイー サリンジャー

大学生の女の子とそのお兄ちゃんのお話。現役大学生としてはぐっとくるものがあった。アイビーリーグの学生って今も昔も全く同じなんだな、とか思ったり。可愛らしい感じのお話なのに胸をえぐられてダメージをけっこうくらった。両方ともニューヨーカーで最初に出版された作品なんだけど、フラニーの方は特に、短編小説として超一流だと思う。人物描写が抜群にうまい。ズーイーはもう少し長めの作品で、フラニーで描写されたテーマをこっちで掘り下げていく感じ。「偽物」が嫌いな人、胸をえぐられたい人、村上春樹の翻訳が読みたい人、ぜひ。

 

テヘランでロリータを読む アーザル・ナフィーシー

アマゾンで検索したら、この本、日本語に翻訳されているのね!!!文句なしのおすすめ。革命後のイランで西洋文学が徐々に弾圧されゆく中、家で密かに読書会を開いた体験を英文学者が綴ったノンフィクション。著者は欧米で教育されたイラン人の大学教授。女性の抑圧に嫌気がさして大学を辞めた彼女は、優秀な7人の生徒を家に招いて毎週木曜日、読書会を開く。ジェーン・オースティンやヘンリー・ジェームズなど、本屋から消えゆく文学を密かに読んで議論する8人の女性のお話。読書会での議論や大学の授業など、18年間イランで生活した日々を著者が文学作品にからめて回想する本。

大学で文学を専攻した私は、いまいち文学を勉強する意義がつかみきれなくて、ここ2年くらいそのことについて考えていた。でもこの本を読んで少し答えの糸口が見えた気がした。日本生まれ日本育ちの私の想像を超えるような現実の中において、文学作品がどのような力を持ちうるのか、いかにフィクションは現実と結びつくのか、この本は丁寧な語り口で考えさせてくれる。最初の方にグレートギャッツビーを非倫理的だといって批難する生徒が出てくるんだけど、そんな視点考えた事もなかった。フィッツジェラルドの名作を西洋的デカダンス、金に目のくらんだ人々のお話、とする解釈はあまりにありえなくて、でもそういう解釈が実際にありえてしまう現実があると知って、文学作品を学ぶ事やその解釈について議論することの意義が少し見えた気がした。

 

 ティファニーで朝食を トルーマン・カポーティ

あーニューヨークーーーって感じ笑。映画が超有名なので名前自体は知ってる人がほとんどですよね。興味深かったのはエンディング。前に映画を見た時、最後の終わり方がなんか不自然だな、と思った覚えがあったんだけど、今回原作を読んだら映画と違うエンディングでした。ハリウッドが映画にするにあたってどういう作品に作り替えたかというのが見えて面白かったです。興味がある人はぜひ両者を比べてみてください。

この本も村上春樹の翻訳が出ているのですね。

 

以上、6月に読んだ良書たちでした。